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家主の都合で引っ越したので、朝のジョギングコースも変わった。前橋市の六供町から南へ、農道を中心に走っているのだが、うれしいのは子どもたちやお年寄りがたびたび「おはようございます」と声をかけてくれることだ。
登山やハイキングですれ違う人と挨拶し合うのは楽しいものだ。だが、町中でこれほど自然に声をかけてもらうのは初めてのこと。赤城おろしも少し緩むような温かさを感じる。
これまで走っていた利根川沿いの公園では、長い休みになると二つの中学校の生徒たちが走りに来ていた。大きな声で挨拶をしてくれる学校と、こちらが挨拶してもろくろく返事がない学校があった。面白いことに、付き添いの先生たちも、前者の学校は挨拶をし、後者は挨拶をしない。やはりふだんからの先生方の姿勢や指導が生徒に反映するものらしい。どちらが気持ちの良いものかは言うまでもない。
思えば米国では、多くの人種が混在しているからか、お互いに声をかけ合う習慣が確立しているように見える。何かといえば「エクスキューズ・ミー」「サンキュー」「ユア・ウエルカム」。そのことだけで米国の社会が日本より優れている、などと言う気はもちろんないが、見習うべきは見習う姿勢はあっていい。
ふと夢想する。行き交う人々がいつも当たり前のように笑顔で声をかけ合う、そんな町に住んだらどれほど爽やかだろうか。たとえば前橋がそうであったら…。きっと毎日がもっともっと楽しくなるだろう。(前橋総局長・恵村順一郎)

年末の大掃除のさなか、自宅の電話が鳴った。やけに明るい声で「○○レジデンスの△△と申します。賃貸にお住まいの方に、手頃なマンションが…」。
この忙しいのに、と思いつつ「結構です」と早々に切ったら、すぐにまた電話が鳴る。出ると何やら怒鳴っている。「話も聞かないで切るとは何事か」と言いたいようだ。また切る。また鳴る。受話器を置いたままにしても、2度3度と鳴る。ほとほとうんざりである。
私でさえ「もう少し話を聞けばよかったか」と後味が悪いのに、子どもや女性なら不安を感じる人も多いのではないか。だが、迷惑電話に詳しい人によれば、いったん話を聞こうものなら「これだけ話をさせてから断るとは何事か」と怒り出すそうである。
一方的に電話をかけてきて、一方的に難癖をつけ、一方的に怒鳴る。これでマンションを売りつけようというのだから、盗人猛々しいと言うほかない。
迷惑電話といえば、群馬では振り込め詐欺の被害が絶えない。手っ取り早い対策は、ふだんから留守番電話に設定しておき、不用意に電話に出ないことだそうだ。我が家もさっそくそのようにした。皆さんにもぜひお勧めしたい。
今回の一件でふと思う。1人1台携帯を持ち、ファクスも携帯に送れる時代。家庭での固定電話はもう不要ではなかろうか。いやいや、と思い直す。東日本大震災の時は携帯より固定の方がつながりやすかったよな。それにしても、電話にさえ気軽に出られない時代とは…。(前橋総局長・恵村順一郎)

2011年が暮れる。東日本大震災と福島第1原発の放射能漏れによって、この年は、日本史の、いや世界史の年表に黒々と太字で記されるに違いない。
震災と原発事故から3つの季節が巡り、一時は混乱した人々の暮らしも、少なくともここ群馬ではかなり平静を取り戻した。だが、私たちはある意味でもっと大事なことを忘れつつあるのではないか。
唐突なようだが、たとえば昨今の消費増税をめぐる議論を思う。ギリシャに端を発した欧州債務危機がイタリアをのみ込み、ドイツでさえ、国債の売れ行きが鈍っている。先進国で最悪の財政に苦しむ日本の国債の相場が下がり、金利が高止まりしない保証はどこにもない。
まだ何とかなる。ムダを削ればおカネは出て来る。そう言って歴代の政権が見て見ぬふりをしてきた消費増税に、正面から取り組む野田首相を、少なくともその1点で評価したい。
話を原発事故に戻そう。日弁連事務総長の海渡雄一さんの近著「原発訴訟」(岩波新書)は、原発の建設・運転の停止を求める訴訟で、地震や津波による重大事故の危険が何度も何度も指摘されたのに、顧みられなかった現実をこう振り返る。「司法は破滅的な原発事故の発生を未然に防ぐことができなかった」
目下の政治の現状が重なる。「政治は(または日本国民は)破滅的な財政破綻の発生を未然に防ぐことができなかった」。歴史にいつか、そう指弾されない判断をしたい。震災の大事な教訓としても。(前橋総局長・恵村順一郎)(前橋総局長・恵村順一郎)

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