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品木ダムというダムが草津町近くにある。草津の湯も流れ込む吾妻川の水は酸性が強くて農業にも工業にも使えない。そこで石灰で中和している。この中和でできる物質を沈殿させる目的でダムは作られた。川の水は絶えないから、沈殿物も生じつづける。だから品木ダムでは浚渫工事も続けなければならない。お金もかかるし、気が遠くなるような話でもある。
品木ダムを見た帰りに二人の同僚と草津温泉の大滝の湯に寄った。中和工場がこの近くにあるからだ。館内の46度と38度のお湯に浸かりながら、先日、この欄で触れたカミュの「シーシュポスの神話」を思い出した。神々の罰を受けたシーシュポスが重い石を山上に運び、頂上にたどり着くと石が転がり落ちる、あの話だ。
品木ダムの浚渫もシーシュポスに似て果てることはない。しかし、ダムも見た後は、賽の河原の石積みのむなしさよりは、人の営みの壮大さに感想は傾いた。文字通りの自然への挑戦である。それを傲慢と簡単に言いたくはない。むしろ圧倒的な自然の力に抗する人間に天晴れ、と言いたくなった。一種の判官贔屓かもしれない。
1円玉も1週間で溶けるほどのお湯も効能ばかりではない。そのまま流せば下流に迷惑が及ぶ。何度も草津のお湯につかって満足していた私は、そこに思いが至らなかった。品木の営みも人によって賛否があり、見方も様々なのだろう。しかし、カミュならきっと肯定するのだろなと、お湯の中でそう考えた。(前橋総局長・山瀬一彦)

総局に古い原稿用紙の束がある。B5判で1枚5行、1行14文字で、行間がたっぷりとってある。原稿を受けたキャップやデスクは、その行間を使って直しを入れたものだ。甲府支局から経済部に異動した直後、この用紙通り5行で書いていたら、キャップに3行で書けと怒られた。5行では直しのスペースが足りないからだという。
今はパソコンで書く原稿も、昔はこの用紙を使っていた。入社当初、私は原稿を書くのが遅く、30行の原稿に2時間かかり、80行では徹夜にもなった。だから遅筆をなんとかしようと、ネタを何本もかかえて必死に書いた。キャップも大変だったと思う。下手くそな原稿が何本も出てくるし、私以外にも部下を抱え、自分の原稿もある。3行書きは困ったキャップの苦肉の策だったはずだ。
このキャップにはよく怒られた。「返事は、うん、ではなく、はい、と言え」「机に足を上げるな」「会食では取り皿を使え、煮魚をひっくり返すな」等々。取材の仕方や原稿の書き方も教わったのだが、覚えているのは、「いいじゃん、そんなこと」と当時は思ったはずのことばかりだ。
キャップだってそんな叱責は面倒だったに違いない。それでも言ったのは、よほど目に余ったのかもしれないが、目をかけてくれた証しだろうと思う。キャップがある日、「そろそろ5行で書いてもいいぞ」と言った時はうれしかった。総局の棚で日に焼けて変色した原稿用紙を見ると、このキャップのことを思い出す。(前橋総局長・山瀬一彦)

「大学時代に渋谷ですごくカッコイイ車を見たんですよ。我が社の車でした。僕もそんな車が作りたいと思ったのが入社の動機ですよ」。私の質問に役員氏はそう答え、その時に見た車の素晴らしさを滔々と語り始めた。役員氏を取材した十数年前、この自動車会社の業績は国内販売の不振に円高が重なってどん底にあった。にもかかわらず、うれしそうに車の話を続ける役員氏が新鮮に映った。
この会社はほどなくして野心的な国内販売台数計画を打ち出した。それを記事にまとめて出稿した時、先輩は「夢物語」と評した。確かに計画の数字は現実離れして見える。「どうやって達成するのかな」と思う一方で「ひょっとしたらできるかもしれない」と思った。この会社では車好きの社員たちにその後も数多く出会い、その点で同業他社と異なっていたからだ。
今年も残すところ1カ月となって、雇用の削減とか生産計画の縮小とか、当時と似た話を聞く。県内の工場にも余波が及んでいる。自動車業界に限らず、県内企業は景気の悪化に直面し、冬のボーナスも6年ぶりにマイナスになると群馬経済研究所が予測している。
しかし、苦しくても会社の事業が好きな人たちが集まっていれば大丈夫だと希望を持ちたい。昔から「好きこそものの上手なれ」ともいう。役員氏の会社は数年後には計画した台数を超えてはるかに強靱な企業になった。仕事好きが集まった会社は強い。役員氏たちはそう教えてくれたように思う。(前橋総局長・山瀬一彦)

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