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前橋駅南口近くにある編集室から約500mに、「けやきウォーク前橋」が完成した。
7日のプレオープンから10日以上が過ぎた先日、そろそろひと段落つくころかと思い、やや遅い昼休みを利用して、コンビニ感覚で弁当を買いに出掛けた。駐車場の空きスペースもすんなりと見つかり、さほどの混乱もなく車が停められた。これなら、店内も落ち着いているだろう。
だが、駐車場の状況から判断した予想は見事に裏切られた。自転車や徒歩の来場者が多いのか、モール内は活気にあふれていた。卒業式を終えた中高生の姿も目立っていた。
これだけにぎわっていると自分もショッピングモールを散策したくなる。目的である弁当は二の次にして、あちこちのテナントを巡る。結局、総菜コーナーにたどり着くまでに、2、3度、財布を開いていた。
そんなことをしていたので、肝心の弁当を選ぶ時間はもちろんなく、真っ先に目に入った「のり弁」をつかんでレジへ直行。あわてて社に戻った。
突然、現れた「非日常」的な世界。自分にとって、この施設が、弁当だけを買う「日常」に変わるまでには、もう少し時間がかかりそうだ。(伊藤)

詩人の大岡信氏は、美術評論家としても知られている。50年代から日本橋にあった南画廊を通じて多くの芸術家と親交を結び、時には共同制作も行った。現在、大岡氏の美術コレクション展が足利市立美術館で開かれている(25日まで)。ピカソ、ミロ、瀧口修造、駒井哲郎ら出品作家はそうそうたる顔ぶれで、展示品もバラエティーに富む。
「どうしてもお金が要る時は売ってもいい」とサム・フランシスから贈られた油彩は、大胆な余白がすがすがしい。加納光於に師事し自身が制作した銅版は、梅干しの種で模様を付けるなど自由な発想に満ちている。自作の詩と交換した谷川晃一の作品は、コップや注射器、ロバといったモティーフが愛らしい。
大岡氏と作家のコラボ作品も見どころの一つ。菅井汲と即興制作した幅10m以上の「一時間半の遭遇」は圧巻だ。いずれも戦後美術史を彩る貴重な作品だが、それ以上に1点1点にまつわるエピソードが面白い。
今展から伝わってくるのは美術や音楽、文学といった垣根を越え新しい表現を創造しようとする芸術家たちの熱い思いだ。才能が才能を呼び、時代をリードする芸術が花開いたのだなと改めて実感した。(中島)

3県の知事が相次いで逮捕された後の宮崎県の東国原知事への注目度は、いまだ熱い。そして東京都知事選。地方自治への関心は、国政選挙への関心が薄まるのと反比例するように盛り上がりを見せている。
「地方の時代」を提唱したのは、30年ほど前に埼玉県知事に当選した畑和さんだった。都内へ通勤する人口が多く地元意識が薄い県民に、「民主主義は足元から」の意味を込めてのアピールだった。しかし、提唱内容は浸透したとはいえなかった。それがここへきての盛り上がりよう。
「地産地消」「子育ては地域で」など、地方・地域の大切さを表す文言が頻出するようになった。依って立つ地元が磐石であって初めて住み良い環境が作られる、そんな認識がようやく定着してきたのだろう。夕張市の破たんが「あすは我が身」という危機意識を育てたのも一因だ。
翻って我が群馬。統一地方選に続いて今夏、知事選が予定されているのに関心が薄い。地域間競争が激化する中で、かつての「首都のおこぼれでそこそこ生きていける群馬」(県職員)ではなくなった。
ふるさと群馬を育てるのは一人ひとりの意識にかかっている、そんな思いが募るこの頃だ。(南保)

「町が合併して地域の情報が少なくなった」。読者からのはがきにこんな趣旨のコメントが寄せられた。
1999年に旧合併特例法が改正された当時、県内は70市町村が存在していたが、03年に神流町が誕生したことを皮切りに合併が次々と成立。現在は38市町村となった。
かつては70市町村から朝日ぐんま編集室に届いていた広報もめっきり減った。地域の貴重な情報を頻繁に発信してくれていた旧町村のホームページはほとんどが閉鎖。現在は、支所の無味乾燥なデータがつづられている。情報を集める側としては、決して喜ばしい状況ではない。核となる市の情報はともかく、旧町村など地域の情報を得る機会やツールが少なくなっていることは確かだろう。
また、各地域の歴史や文化に精通した職員が担当部署を離れるケースがあるのも気掛かりだ。もちろん事務的な引き継ぎなどは行われるだろうが、目に見えない地域の財産を継承していく必要もあるだろう。
行政の効率化、サービスの多様化、広域的観点からの政策…。合併のメリットは多い。ただ、あらゆる面で「1+1」の答えが「2」以上にならなければ合併の意味が薄れてしまう。(伊藤)

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