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サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会がいよいよ決勝トーナメントに入る。衛星放送では元日本代表監督(06〜07年)イビチャ・オシムが特別コメンテーターとして登場。独特の表現で放送を盛り上げている。
オシムは07年11月に脳梗塞で倒れ代表監督を辞任したが、同年8月に昭和村を訪れ国際支援フェスタに参加。県内の子どもたちと交流を図ったことがあった。
その質疑応答タイムでオシムの“お説教”がさく裂したのを鮮明に覚えている。それは子どもに対してではなく大人にだった。
子どもたちが恥ずかしがって質問をしないことを懸念した運営者側は事前にアンケート用紙を配り質問を用意していた。会場でそれをみたオシムは「なぜ甘やかす必要があるのか? 事前に質問を集めるよりも、この場で手を挙げさせて子どもたちの自主性を伸ばすことのほうが重要だ」と一喝。急きょ、子どもたちから挙手を求めた。すると子どもたちは恐る恐る手を挙げ始めた。
「この子どもたちが大人になるときに、未来がどうなるかを予測して指導しなければいけない」。オシムはサッカーを通じて人生を説く“宣教師”だった。(伊藤)

1日、世界的舞踏家の大野一雄さんが亡くなった。103歳。大往生だ。年齢もさることながら、現役最長老として100歳まで活躍していたというから驚く。10年ほど前、大野さんの舞踏をライブで見た。息子さんで舞踏家の慶人さんに支えられ、歩くのもやっとという姿で県庁の特設ステージに登場。が、一たび舞台に立つと辺りの空気が一変した。
「何じゃこりゃ」-松田優作ではないが、思わず叫びそうになったのを今でも覚えている。緩やかな動きは踊っているのかヨタっているのか。ヒラヒラの白い衣装に白塗りの顔も、何やら奇っ怪でオドロオドロしかった。
想像を遥かに超越した大野ワールド炸裂。うまいへた、芸術性とかはサッパリ分からなかったが、踊りたい、表現したい、というすさまじいまでの執念に圧倒された。当時、90歳を超えていた大野さん。何かに取りつかれたように踊る姿は、同じく90歳の長寿を全うした葛飾北斎の絶筆「富士越龍」に描かれた、黒雲と共に昇天する龍を彷彿とさせた。
訃報を聞き、ライブ会場で購入した著書を開いてみた。「ありがとう」?大野さんのサインと共に、力強くて温かい5文字が添えられていた。こちらこそ、素晴らしい踊りをありがとうございました。合掌。(中島)

たばこをやめた。30年以上の付き合いだった。
6年前に1度断ったが、5日ほどで悪魔のささやきに屈した経緯がある。今回は禁煙ガムを味方に付けて臨んだ。ガムは1個100円ナリ。高い!3個で1日のたばこ代になるじゃないか。それでも「3カ月でやめれば元は十分取れる」と、背水の陣。
1週間は家族にも職場にも言わなかった。禁煙した諸先輩から「3カ月は苦行が続く」と聞いていた。「やめました」と告白するたび反応は様々。励ます人がいる半面、家族には「禁煙している」といいながら職場ではプカプカの人。筆者が行くと喜々として灰皿を用意し、自ら紫煙をくゆらす人もいる。先日などは親切にも灰皿を出してきたので、「いや、やめました」と告げると「えっ」と絶句し、残念そう。「精神的にきついでしょ、1本どうぞ」と箱を差し出された。ニコチン切れよりも、かつての“同志”からの誘惑がキツイ。別の取材先では「僕もやめて20年たつ。最初の半年間はきつかったぁ」。「えっ、3カ月で解放されるのでは?」と声を上げた。「3カ月」は勝手に思い込んでいただけだった。
まだ1カ月たらず。先は長い。 (南保)

元旦に始めた日記が5月中旬から滞ってしまった。仕事が忙しかったのも確かだが、明日書けばいいという甘い気持ちが日々、増殖。ふと気付いたら、2週間以上もページが真っ白になるという事態を招いた。
日記は常にバッグに入れて毎日持ち歩いていたのだが、期間が長引くにつれてページを開くのが怖くなった。これではいけないと思いながらもズルズルと流されていった。
先日、不安にかられて恐るおそる日記を開いてみた。5月14日を最後に時間が止まっていた。
ページに日付を入れて、直近の出来事を書き込もうとしたが、わずか1、2週間前の事なのに“空白”を埋めることができない。手帳を確認して思い出そうと試みたが、予定のあった時間帯は浮かんでくるものの大半は記憶から消えていた。
反省を含めて、日記を読み返してみると1月20日にこんなつぶやきが記してあった。「自信とは自らを信じることで生まれる。自らを信じることは、日々の努力から生まれると思う」。6月に入り2010年もすでに半年が経過しようとしている。空白の2週間を自分への戒めとして、悔いのない日々を過ごしたいと思う。(伊藤)
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