テキスタイル・プランナー 新井 淳一 さん

独自の手法で布作りを行っている新井淳一さん。背景の美しい布の数々と上着の布も自ら創作したもの=桐生の自宅

【創生の火種を燃やし続ける夢織人】

「『脱皮出来ぬ蛇は死ぬ』と言われているが、齢81を超え己最後の脱皮に挑戦しています」

 

【千変万カする布楽しんで】

闇の中に妖しく浮かび上がる布の数々—水平に広がる35種類のテキスタイルと光とのコラボレーションは神秘的で、息を飲むような美しさを湛えている。「自己組織化」をテーマにした黒の空間は深い森のように静謐で力強い。一方、「精神と祈り」と題された白い空間には、巨大な金銀布による渦巻状の回廊や壁全面を覆った白布が鎮座。最後の空間は、新井さんが世界を旅しながら撮影した写真と制作について語る音声のインスタレーションが展開する。
現在、東京オペラシティアートギャラリーで開催中の個展「新井淳一の布—伝統と創生」(〜24日まで)で、独自の手法で作り続けてきた70年代から最新作までの約60点を発表。作品に加え布の原料となる金属や糸、制作映像などが並ぶ。60年に及ぶ布作りを紹介する大規模個展は作品、空間とも独創性に富み自由な発想力と深遠な精神性に満ちている。「布には命が宿っている気がする。固まっているものではなく風や光によって常に変化していく。横たわる、吊り下げられることで千変万化する布を楽しんで欲しい」

【機屋にだけはなるまい】

織都桐生に6人兄弟の長男として生まれる。祖父が撚糸業、母方の祖父、そして父が織物業を営んでいたが「機屋にだけはなるまい」と幼心に思っていた。幼稚園の頃から同級生に紙芝居を披露したり、小学生で浪花節を諳んじたり立川文庫を読破するなど言葉や表現に対する興味が人一倍強かったからだ。中学・高校時代は演劇部長、文芸部員として活躍。のち桐生の洋食店「芭蕉」創業者で桐生一の粋人と称された小池魚心に私淑。その独自な芸術観や思想に感化されていく。「何かを生み出す際に必要なのはお金ではなく純真な創造意欲だと教えられました」

【結局、布作りが好きだった】

魚心の影響から芸術に目覚めるも、戦争で負傷した父親の代わりに家業を支えざるを得なかった。「芸術を追求したいという願望と織り屋を継がなければという現実との狭間で常に葛藤していました」 高校卒業後、家業に従事するが芸術への思いは断ちきれず東京の舞台芸術学院夜間学部に通いながら人形劇団「ともだち座」を主宰。一方、職人から織物について一から学び、これまでの帯地や金襴、御召の枠を超えた創作に挑み、国内外のメーカーや織物業者らと製糸、織・染め、加工技術を共同開発し多彩な布を生み出していった。「新しい糸や技術ができればすぐに試してみたくなった。結局は布作りが好きだったんですね」

【妥協のないモノづくり】

転機が訪れるは70年代以降。山本寛斎や三宅一生、川久保玲(コムデ・ギャルソン)らのテキスタイル作りに関わるようになり、斬新な布を次々と開発。パリコレなどを通して「ジュンイチ・アライ」の名は世界へと広まっていった。デザイナーとの妥協のない協働により布作りへの情熱は一層高まり、制作の領域は拡大していった。「一生さんからは『毒のある布が欲しい』と言われ、川久保さんからは『とにかく面白い布を作って』とリクエストされた。2人とも細かい指示は出さず僕をアーティストとして遇してくれた。彼らとの仕事は実にスリリングでしたね」 83年には一連の活動が評価され第1回毎日ファッション大賞特別賞を受章。90年代以降はデザイナーとの仕事から離れ独自の道を歩み始める。国内外で展覧会を開く一方、新聞雑誌への執筆、講演会、大学講師など多方面で精力的な活動を展開していく。

【まだ見ぬ布を発見したい】

金銀糸で織り上げた超軽量布、強撚糸使いの綿織物、蜻蛉の羽のように美しく繊細な布、フリンジが特異なフェルト—手技とテクノロジーの融合から生まれた布は原初的かつ先鋭的で、人々の心を捉えて離さない。「織物の魔術師」「ドリームウイーバー」(夢織人)などと称される所以だ。「僕自身、まだ見ぬ布を発見したいという気持ちが強い。ただ、それは多くの人との協働から生まれる。だから、僕は自らをテキスタイル・プランナーと呼んでいます。そんな言葉があるかどうかは知らないですけどね(笑)」

【やりたいことは尽きない】

「創生の原点は伝統の鉱脈の中にあります。伝統なくしての創生はあり得ません。伝統とは人が人となって以来、絶やすことなく守り続けた精神の歴史であり、そこには全ての創生に関わる火種が燃え続けているのです」—東京オペラシティーアートギャラリーの展示室に掲げられた言葉には、歴史の中で受け継がれてきた民族の手仕事への敬意と布の新たな可能性を追求していく不屈の覚悟が滲む。現在も自宅の工房で布作りに励むなど、制作意欲は留まるところを知らない。「『脱皮出来ぬ蛇は死ぬ』と言われているが、齢81を超え己最後の脱皮に挑戦しています。やりたいことは死ぬまで尽きないでしょう」 創生の火種を燃やし続ける夢織人は、「まだ見ぬ布」を求め更なる高みを目指し進化し続けていく。

文:中島 美江子
写真:高山 昌典

【プロフィル】Junichi Arai
32年桐生生まれ。83年第1回毎日ファッション大賞特別賞、92年に繊維をアートに引き上げた功績から国際繊維学会より日本人初のテキスタイルデザイナー勲章を受章。2011年は英国王立芸術大学より名誉博士号を授与される。テキスタイルの分野では日本人初の快挙。独創的な布はV&Aミュウゼアムやニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館などに収蔵されている。

 

〜新井氏へ10の質問〜

筋力維持のため1日2千歩を目標に

—習慣は 

ウオーキング。筋力維持のため1日2000歩が目標です。アイポッドで40年前に自ら朗読した小説を聞きながら、気力を奮い杖にすがって歩いています。
また、生きるために1日5回食に挑んでいます。胃を全摘しているので、食べる度に起こるダンピング症候群がツライ。起床時の大半は食事との闘いです。

—尊敬する人は

小池魚心(1906〜82年)。桐生の糸屋通りにある洋食店「芭蕉」の創業者で調菜人。建築家、版画家、染色家と多彩な顔を持っておられ、10代の頃から私淑していました。あと、いずれも故人ですが在野の人文学者周東隆一、画家のオノサトトシノブ、詩人の長澤延子、岩宿遺跡を発見した相澤忠洋、歴史家の羽仁五郎です。

—好きな食べ物飲み物は

鰻の蒲焼が好きです。それと自分で淹れる煎茶。

—最近、嬉しかったこと

東京オペラシティアートギャラリーで個展を開催できたこと。今までにない展示をして頂きました。多くの人に私の布を見てもらえることはありがたいです。

—桐生で自慢できるもの

桐生川上流の景観、大川美術館、図書館の羽仁文庫、市民文化センターにあるピーター・コリンウッドの作品、地場産業振興センターに秘蔵されている民族染織資料など、たくさんあります。

—座右の銘は

「氣先き/梨にかぶりつく心/大木を切り倒す心/鍔元へきり込め」 芭蕉没後、門弟服部土芳が翁句作の心得を3冊に書いたものを魚心さんが4行にちぢめた言葉です。私の結婚した年、木版=写真上=に起こして頂きました。

—家族構成は

長女次女に恵まれましたが、現在は妻リコと2人暮らし。孫は3人います。

—お気に入りのコレクションは

一つ挙げるとしたら石斧=写真下。いつ、どこの民族が何のために使っていたか分かりませんが、長崎の骨董屋で見つけ後日、同行していた人から送って頂きました。手元に置いて30年以上経ちますが今でも大きな力を与えてくれます。

—これまで訪れた外国で、特に印象に残っている国や都市は

メキシコ。初めて訪れた外国です。都市はソ連軍占領下にあったチエコの首都プラハ。

—長所短所は

自分では良く分かりませんね(笑)。

 

取材後記
「これはメキシコの民族衣装。あれはアフリカの仮面で、その椅子は台湾で手に入れたものです」—艶っぽいバリトンボイスで、布の創造にインスピレーションを与えたコレクションの数々について説明してくれた。自宅の一室は、まるで民俗資料館の趣きだ。  そして、定位置の机にはノートパソコンが置かれ、毎日必ずメールのチェックをしているという。研究熱心で好奇心旺盛、そして新しいもの好きな性格だと分かる。まだまだ作りたい布があるらしい。「でも、教えられない。僕一人じゃ出来ないからね(笑)」と煙に巻かれた。茶目っ気たっぷり。恐るべき81歳である。