写真家 石内 都 さん

新井求美さんの織った銘仙を身にまとう石内都さん。牡丹柄の紫地に銀糸が織り込まれた着物は、典雅な輝きを放っている=桐生織塾

【撮るモノはいつも変わらない】

「銘仙は無名の女たちの遺品であり、日本の近代化を象徴する夢の跡形。その輝きに魅せられた」

 

【夢がようやく叶った】

個展会場正面奥に佇む1点の写真。赤、黄、白、青、黒—ビビッドな色彩が、まるで妖しい生き物の様にうねっている。被写体は大正昭和にかけて一世を風靡した銘仙。「壁に1作品だけ飾る。長年の夢がようやく叶った。1点1点とじっくり向き合い体で感じながら見て欲しい」
現在、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(香川県)で開催中の企画展「絹の夢」(〜来年1月6日)で、銘仙や繭、生糸、碓氷製糸工場などを撮影した新作46点と映像作品を発表している。中でも一際目を引くのが銘仙作品だ。奇抜な柄や過激な色遣いから、当時の熱気や絹を身にまとう女性たちの喜びが伝わってくる。「一代限りの着物なのに物凄い存在感がある。大流行したにも関わらず、歴史的に全く顧みられていない点も面白い。銘仙は無名の女たちの遺品であり日本の近代化を象徴する夢の跡形。その輝きに魅せられた」

【導かれるように桐生へ】

絹に出合ったのは、前作「ひろしま」を制作していた時のこと。原爆被爆者のワンピースやブラウスを撮るうちに、焼け残った生地のほとんどが絹織物であることに気付く。蚕が桑を食む音や機音、桑の実の香り—広島の遺品を介し、生まれ育った故郷への記憶が呼び戻された。10年、導かれるように桐生へ向かう。同市在住のテキスタイルプランナーの新井淳一氏や長女で桐生織塾の塾長を務める求美氏、桐生タイムスの蓑崎昭子記者らとの交流を通して、絹の魅力や銘仙の存在を知る。日本の近代化や繊維産業の盛衰、そして桐生が一つに繋がり、新作「絹の夢」が誕生。「故郷を無意識に避けてきたけど、戻ってきなさいって銘仙に呼ばれたような気がする。絹を撮ることで桐生を再発見できた」

【40歳で再スタート】

6歳まで桐生で暮らす。鮮明に覚えている思い出がある。「4歳の時、家出をした。母の実家へ行くために、渡良瀬川に架かる錦桜橋を一人で渡った時の記憶は今でも忘れられない。私の原風景です」
小学校に上がるのを機に横須賀へ転居、多感な時期を基地の街で過ごす。多摩美大中退後、70年代半ばから独学で写真を始めた。「大嫌いだった」という横須賀の街の匂いや記憶を焼き付けた「絶唱・横須賀ストーリー」でデビュー、79年に「APARTMENT」で木村伊兵衛写真賞に輝く。直後、数々の雑誌からオファーが殺到。一見、トントン拍子に見えたが受賞後は数年間、スランプに陥る。「頼まれ仕事が嫌で全て断ってしまったけど、自分が何を撮りたいか全く分からない。写真をやめようかと思い詰めていた時、ふと目に留ったのが自分の手足だった。ここには過去の時間が溜まっている、あぁ撮ってみたいなと。40歳でようやく再スタートが切れました」

【母娘の問題は世界共通】

80年代後半からは、同年齢女性の手足や男性の裸体、身体の傷などを接写。00年に入ると亡き母の遺品を撮り始める。生前、折り合いが悪かったという母と対話を重ねるように、残された下着や化粧品を丹念に写し取った作品は「Mother’s」へと結実。05年、同作でベネチア・ビエンナーレ日本代表に選ばれるなど、写真家としての評価を不動のものにする。「Mother’s」を展示した日本館には約20万人が来館。「作品の前で涙を流す人もいたの。もう、びっくりしちゃって。ベネチアで母娘の問題や身近な人を思う心は世界共通だと実感しました」
07年からは広島の被爆者の遺品と向き合う。カメラに収められた衣服は、焼け焦げていたり破けたりしているが色鮮やかで実にファッショナブル。「戦時下においてもお洒落を楽しむ女性たちがいたこと、死の瞬間まで日常生活が営まれていたことなどを伝えたかった」

【自然に任せササッと撮る】

遺品3部作とも言われる「Mother’s」「ひろしま」「絹の夢」。被写体はそれぞれ異なるが、撮るモノはいつも変わらないという。「それは残されたモノたち。人が死んでも衣服や着物は無くならない。無機質なのにどこか人間っぽいモノたちに宿る、生命や時間の痕跡を撮っているんだと思う」
35ミリカメラ、手持ち、自然光—撮影スタンスも変わらない。「商品や情報を撮っている訳じゃないから。過剰な演出はせず、自然に任せササッと撮るのが私のやり方です」

【どこかで繋がっている】

今春、「絹の夢」の制作と平行してメキシコで約1カ月、画家フリーダ・カーロの遺品を撮った。来年、写真集が出版される。「撮影していて非常に真面目な女性だと感じた。真面目を過ぎると過激になるっていう典型(笑)。男性とのスキャンダルばかり強調されているが、私の作品で彼女のイメージを修正します」
デビューから35年以上、今なお第一線で走り続ける。来年は植物を撮る予定だ。最近、来た仕事はなるべく断らないという。「色んなオファーを受けるが、それがどこかで全部繋がっている。作品テーマは誰かが発見してくれるので、今は自分から撮りたいものはないかな(笑)」
この執着のなさが、自由で伸びやかな作品を生み出す原動力になっているのだろう。

文:中島 美江子
写真:木暮 伸也

【プロフィル】Miyako Ishiuchi
47年桐生生まれ。79年に木村伊兵衛写真賞受賞。05年には母の遺品を撮影した「Mother’s」で、ベネチア・ビエンナーレの日本代表に選ばれる。09年に毎日芸術賞を受賞。国内外で精力的に活動を展開している。東京在住。

 

〜石内さんへ10の質問〜

わがままに、贅沢に生きる」かな(笑)

—愛用のカメラは 

メーンはニコンF3。「1・9・4・7」からなので、20年以上使っています。サブで愛用しているチビカメラは、「リコーGR10」=写真左。これも20年近く使っていますが、結構おりこうさんですよ。そして、撮影時に欠かせないのが手袋。蛇皮=写真右=からオーダーメードのものまで、いっぱい持っていますね。

—桐生のオススメは

渡良瀬川。今でも錦桜橋を渡るたびに、4歳の頃のことを思い出し、胸がキュンとします。あとは、焼き鳥屋「きよし」かな。壁の一部が、銀杏の木で出来ているの。焼き鳥はどれもおいしいけど、必ず食べるのが青とうがらしの串焼き。辛いのに当たると大変です(苦笑)。

—座右の銘は

自分で作った言葉「負から始まる」。何事もマイナス、あるいはネガティブからスタートするという考え方が好きですね。

—最近、感動したことは

先月、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館でスタートした個展のオープニングに、200人近くの人が来てくれたこと。まさか、こんなにたくさんの人が四国まで来てくれるとは思いもしませんでした。うれしかったですね。

—好きな食べ物飲み物

最近、ハマっているのがメキシコ料理。特にモレというチョコレートソースをかけたチキンステーキが好き。甘くて辛くてスパイシー、一度食べたらクセになります。メキシコ料理といったら、飲み物はテキーラ。ただ、毎日飲んでいるのはジンですけど(笑)。

—モットーは

「わがままに、贅沢に生きる」かな(笑)。人から、もう十分じゃないって言われますけど、まだまだ足りない。

—趣味は

料理。特にリビア料理が得意。ピーマンの中に米やひき肉、野菜を詰めて蒸し焼きにしたもので、ハリッサという香辛料を使います。辛いけどおいしいですよ。料理をしている時はもちろん、レシピ本を見ているだけでも楽しい。

—行ってみたい場所は

メキシコのオアハカ。フリーダ・カーロのお母さんが生まれた土地です。ここには先住民の文化がちゃんと残っているので、いつか訪ねてみたい。

—休日の過ごし方

1日中パジャマでいます。そのままご飯食べてテレビ見て寝ちゃう。良いでしょう(笑)。

—これからの目標は

目標とはちょっと違いますが長生きしたい。長く生きていると、知らないことがいっぱいあることに気付く。そこが面白い。あと、歳を取ると出来ないことが多くなり嫌なことはしなくていいから(笑)。

 

取材後記
先月、丸亀市猪熊弦一郎美術館で開かれた個展「絹の夢」のレセプションに出席した。91年の開館以来、最多の約200人が訪れたという。オープニングで鏡開きが行われ、群馬の地酒「赤城山」が振る舞われた。ドレスコードが着物だったため、多くの人が振り袖や訪問着で出席。石内さん自身も紫地の粋な銘仙を身にまとって登場した。何とも贅沢なパーティー。もてなしの心が伝わってきて、幸せな気分になった。  日本の女性写真家のパイオニア的存在。受賞歴など何かにつけて「女性初」の枕詞が付く。が、本人に気負いや奢りはない。「だって写真撮るのに男も女もないもの」とカラカラ笑う。写真家としても人としても器が大きいのだ。だからこそ、石内さんの周りには人の輪が絶えないのだろう。作品同様、実に魅力的な人である。