前橋育英高校サッカー部監督 山田 耕介 さん

「勝負弱いと言われ続けてきたので、優勝は正直ほっとしました。でも、決勝まで行くことが大変なんですよ。それだけは分かってほしい」と笑う山田監督。手にするのは県勢初となる悲願の選手権優勝旗=前橋育英高校(校長室)

「決して諦めない、くじけない不撓不屈の精神で、これからも挑戦し続ける」

前橋育英高校サッカー部監督に就任して36年。今年1月8日に行われた第96回全国高校サッカー選手権大会決勝で、流通経大柏(千葉)に1-0で勝利を収め、21度目の出場で県勢として初の選手権初制覇を成し遂げた。これまで4強4度、準優勝2度とあと一歩辿り着けなかった“頂点”。昨年の選手権決勝では、青森山田に0-5と屈辱的な大敗を喫したが、チームの立て直しを図り見事、優勝をつかみ取った。今年度から同校の校長も務める山田耕介監督に、優勝までの道のりや育成方法、サッカーの魅力などを聞いた。

【正直ほっとしました】

Q優勝した時の気持ちは

正直ほっとしました。これで負けたらむちゃくちゃ言われるだろうなと(笑)。これまで勝負弱いとずっと言われてきましたから。選手たちが積み重ねてきたことや思いをピッチ上で表現できた、素晴らしい優勝でした。

Q昨年の選手権決勝、青森山田戦の大敗からチームをどう立て直しましたか

完璧にやられ、かなりショックでした。相手の勢いに飲まれ、冷静にファイトできなかったのが一番の敗因です。基本に戻って練習を積み重ねました。選手たちの気持ちが入っていない時は、「青森山田だったらもっと練習しているぞ」と必ず檄を飛ばしました。青森山田戦の失点シーンや、選手が泣いている場面を編集した映像を何度も見せました。今大会の決勝前日も見せました。

Q練習で強化した点は

攻守の切り替えが相手より上回れるか、奪われたらすぐ奪い返す守備を、全員に意識させることを徹底しました。ボールを奪われても、相手に顔を上げさせないディフェンス。いいパスを出させない動きを強化しました。

Q今大会決勝前に選手に掛けた言葉は

選手たちは一生懸命頑張っていますが、ピッチに立てるのは支えてくれた人がいるおかげ。全力で最後まで諦めず、全ての人の思いを背負って頑張ろうと伝えました。

Q決勝ではサブの白のユニホームだった

前橋育英はタイガー軍団(黄と黒の縦縞)と思っているファンの方もいるし、選手たちもユニホームに懸ける思いがあるので本当はタイガーで戦いたかった。相手ユニホームとの色の関係で、審判判断でサブのユニホームになりました。私自身、どうにも納得がいかなくて。でも、選手たちは「白で行くぞ!」と気持ちの切り替えが早く、びっくりしました(笑)。

Q後半終了間際まで得点できなかったが

延長戦になると思っていました。焦りはありませんでしたね。イライラしたら負け。主将の田部井涼、副主将の(田部井)悠など選手たちはよく分かっていました。冷静にファイトすること、青森山田戦から学んだことです。

Q今大会の勝因は

5試合でシュート11本しか打たれませんでした。打たれる前に潰した結果です。中盤より前の選手たちの追い込みが素晴らしかった。(今大会得点王の)FW飯島陸やMF五十嵐理人らは、奪われてもすぐ戻って奪いに行った。ものすごいハードワークですよ。(今大会最多16得点の)攻撃的なイメージがありますが、組織的なディフェンスがものすごくよかった。そこが最大の勝因ですね。

Q県大会含め、今大会振り返って一番苦しかった試合は

11月の県大会決勝の桐生第一戦ですね。GKとの1対1の決定的場面を作られ、やられたという気持ちがありました。シュート数も一番多く打たれ、苦しい試合でした。

Q先月、前橋商店街で行われた優勝パレードはどんな気持ちでしたか

私が島原商3年の時、インターハイで優勝し、地元でパレードした時の感動を思い浮かべました。40年も前の話です。今回も多くの方が来てくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。

Q市民栄誉賞、そして県民栄誉賞を授与されるが

大変名誉なことで身が引き締まる思いがします。優勝に浮かれることなく、選手たちは次のステージに向け、今後もっと進化、成長してほしい。

【あっという間の36年】

Q指導者を目指したきっかけは

島原商時代の恩師、小嶺忠敏監督(現・長崎総合科学大附)の影響が大きい。選手時代はよく叱られ怖かったですが、それ以上に生徒への深い愛情と信頼がありました。自分も、そんな指導者になりたいと志しました。監督になってからも、ずっと親しくさせて頂いていますが、70代になった今も情熱が衰えていないのは本当に凄いこと。今月行われる優勝祝賀会にもお越しくださいます。永遠の師匠ですね。

Q前橋育英に赴任した経緯は

地元の長崎で教員になりたかったのですが、大学4年の時、総理大臣杯の準決勝と教員採用試験が重なってしまい、何と受験できなかったのです。Jリーグ前身のチームから声が掛かっていたので、選手続行の道も考えました。そんな矢先、前橋育英から教員採用の話が舞い込んできて。縁もゆかりもない前橋に行こうと決めました。実は2年で長崎に帰ろうと思っていましたが、あっという間に36年経っていましたね(笑)。

Q当時の育英サッカー部は

一言で言えば「やんちゃ」。髪型もリーゼントだったりカラフルだったり(苦笑)。現在、部員は159人いますが、当時は20人にも満たないチームでした。監督就任直後、約1カ月間ボイコットされました。仕方ないから一人で練習を続けましたよ。その姿を見て戻ってきてくれた1年生だけで6月のインターハイ県予選に出場したら、何と1、2回戦勝ったんです。そしたら3年が謝りに来て。漫画みたいな話ですが、その年、インターハイ県予選で初優勝しちゃいました。

Q多くのプロ選手を輩出していますが、育成方法で心掛けていることは

様々な角度から選手を見て、プレーを見極めるようにしています。諦めず、頑張り続けられる選手がプロに行っています。スキルだけでなく強い意志力が必要なので、そうした選手を育てるために我々も本気で選手たちと向き合っています。

【不撓不屈の精神で挑戦】

Q今年度から校長に就任されましたが、監督との両立はどうでしょう

校長を引き受けようか悩んでいた時、小嶺監督に電話で相談したら「やればよかろう」の一言(笑)。両立は大変ですが、周囲の理解や協力があり支障なくできています。大変なことがあっても決して諦めない、くじけない不撓不屈の精神でこれからも挑戦し続けます。

Q来年度の目標は

今年度達成できなかったプレミアリーグ昇格、選手権2連覇、これは譲れないですね。インターハイ優勝も。新チームがどうなるか、妄想できる今の時期が一番楽しい。優勝メンバーに比べて、新チームの力の差はあまり感じていません。かなり期待できますね。

Qご自身にとってサッカーとは

小学校高学年からサッカーを始め、50年近く経ちます。私の人生そのもの。サッカーは自分で考え、判断してプレーする。自由度が高く個々の自主性が問われるスポーツで、答えがないところが最大の魅力ですね。

Q群馬のファンの皆さんに向けてメッセージを

今回の日本一は、地元の熱い応援があったからこそ成し遂げられました。勝利に驕ることなく、今後も地道に日々の練習を一生懸命やり、また優勝できるように頑張りますので、応援よろしくお願いします。

文/写真・林哲也

【プロフィル】Yamada Kosuke
59年長崎県生まれ。島原商高-法政大。島原商で小嶺忠敏監督(現・長崎総合科学大附)の下、高校総体優勝、法政大で総理大臣杯優勝など選手としても活躍。82年、前橋育英高サッカー部監督に就任。86年度に初の選手権出場。98、99、01、08年度にベスト4。14、16年度に準優勝。今年1月の選手権で悲願の初制覇。09年に高校総体優勝。これまで山口素弘(元横浜Fなど)や細貝萌(柏)ら70人以上のプロ選手を輩出。17年4月から同校校長に就任。前橋在住。