構成作家 オークラ さん

東京ミッドタウンをバックにポーズをきめるオークラさん。「この辺りは、たまに散歩すると気持ち良いんですよ」=東京の檜町公園

【今までにない「笑い」を形に】

「表面的な笑いじゃなくて、人間の本質をえぐるような笑いで見る人に衝撃を与えたい」

 

【正直、体力的にギリギリ】

「自分でも今、何本やってるか良く分からない。休みは正月くらいで正直、体力的にギリギリ(苦笑)」—「爆笑大日本アカン警察」「とんねるずのみなさんのおかげでした」「はねるのトびら」「ゴッドタン」「ピラメキーノ」「ウレロ☆未完成少女」など、人気バラエティーを担当。テレビに加え、バナナマンやおぎやはぎのラジオ番組も掛け持ちする超売れっ子だ。膨大な仕事量を殺人的スケジュールでこなす日々。例えば、ある1日は朝8時にテレビ収録があり、昼から5つの会議に出た後、深夜のラジオ収録に立ち会い翌日の会議までに30分のコントを仕上げるといった具合だ。一定水準以上の笑いを量産するのに欠かせないのは、日々の努力。食事をしている時も人と会っている時も、常にお笑いセンサーを働かせている。「妹から聞いたご近所さんの話とか友人が言った一言とか気になった事は全てメモってネタ作りに生かしている」

【コント専門のコント作家】

バラエティー番組の要とされる構成作家。よく耳にするが、その実態はあまり知られていない。「簡単に言えば番組の企画を考えたり、その内容を台本にまとめたりする人。現場でスタッフと出演者の意見調整をすることもある。僕はいわゆる一般的な構成作家というより、コントを専門に書くコント作家と言った方が良いですね」 発想力やマネジメント力など多くの能力が求められるが、最も重要なのはプレゼン力。その上で視聴率を稼げないといけない。「むしろ、今はどうしたら数字を取れるか考える仕事がメーンになってる。構成作家は誰でも出来るけど、自分の好きなことをしながら評価も得なきゃいけないところが難しい。スポンサーの意向や予算の制約がある中、いかにやりたいことを実現させるか。毎回毎回が勝負です」

【表現するのは向いてない】

建設業を営む両親と3人姉妹に囲まれて育つ。お笑い番組が好きな小学生だった。中学生になるとダウンタウンに夢中になる。高校に入ってもお笑い熱は冷めず、ますますのめり込んでいく。「芸人になろうという発想は全くなかったが、お笑い番組は全てビデオ録画して見ていた。中学浪人していたので、他の人と違うものを自分の中に作らないと生きていくのが辛かったんです」 家業を継ぐことを意識し日大理工学部に進むも入学早々、同級生から「おもろい奴」と言われ俄然お笑い魂に火が付く。在学中、お笑いコンビ細雪を結成。自身でコントを書きライブに出演するようになる。そこで一緒だったのがバナナマンやアンタッチャブルら今をときめく芸人だった。
彼らと同じ舞台に立つうちに、理想とする笑いが伝えられないもどかしさを感じ始める。「コント自体がつまらないのかと悩んだが、ある時バナナマンの日村さんにやってもらったらメチャメチャ面白くなっていた。書くのは得意だけど、表現するのは向いてなかったんです(笑)」
コント作家に転身した直後、相方が失踪。その時、「やることなければ俺らの手伝いすれば」と声を掛けてくれたのがバナナマンだった。以降、彼らとユニットコントをしたりライブをするようになる。「第三のバナナマン」と言われる所以だ。

【深度のある安くない笑い】

コント作家の仕事をするうち、ラジカルで知的なシティーボーイズの存在を知る。「衝撃的でした。こんな笑いがあったのかって。色んなジャンルを融合させ化学反応を起こし、笑いだけでなくその先の文化も生み出していく。洒落ていて格好良かった。彼らみたいな、深度があって安くない笑いを作りたいと思うようになりました」 影響は大きく、以来コントを書きながらライブでバナナマンやラーメンズを組み合わせるなど演出も手掛けるようになる。
00年頃からテレビの仕事も増えていく。現在、10本以上のバラエティー番組を担当するが、エッジの効いたコントから予測不能なシットコムまで幅広い笑いをお茶の間に届ける。共通しているのは、ジャンルにこだわらず新しい笑いを追及している点だ。どの現場も楽しいが、「ウレロ—」のようにキツイ番組もある。「日本ではあまり馴染みのないシットコムに挑戦している。形式上、ずっと笑わせる必要はないが芸人でやる以上そうはいかない。30分の台本に、入れなきゃいけない笑いの量が半端無くてホントに大変」

【自分にしかできないこと】

多くの番組に関わる中で気付いたことがある。確固としたものが無い人はやがて消えていく。「絶えず『誰もやってないこと、自分にしかできないことをやる』という姿勢で取り組んでいる。表面的な笑いじゃなくて、人間の本質をえぐるような笑いで見る人に衝撃を与えたい」
構成作家になって15年以上が経つ。年を追うごとに、自分のやりたい企画が出来るようになってきた。来月から脚本を担当したドラマ「花のズボラ飯」がスタート。来年には大規模な舞台を手掛ける予定だ。「最近、面白い人たちと繋がり始めている。芸人やアイドルやミュージシャンなど色んな集団をくっつけて、今までにない『笑い』を形にしたいですね」 目下の願いは「休みが欲しい」らしいが、その望みは当分叶いそうにない。

文:中島 美江子
写真:高山 昌典

【プロフィル】Okura
1973年富岡市出身。日大理工学部中退。在学中、お笑いコンビ「細雪」を結成、当時の芸名は「オークラ劇場」。97年頃からコント作家として活動。バナナマンやアンタッチャブル、おぎやはぎらのライブに関わっている。東京在住。

 

〜オークラ氏へ10の質問〜

メモっておかないと忘れちゃうんで(笑)

—群馬のオススメは 

下仁田ネギ。実家に帰ると、よく天ぷらにして食べます。かき揚げじゃなくて、ザックリ切ってただ揚げるだけ。うまいですよ。あとは、妙義山ですね。小さい頃、何度か登りました。高速道路からの眺めは壮観で、ちょっと中国っぽいところも好きです。

—長所短所は

良くも悪くも負けず嫌い。才能ある人を見ると、心の中じゃ絶対負けないぞって思いますもん(笑)。

—習慣は

タバコ。1日3箱は吸います。やめなきゃなと、いつも思っていますが、これがなかなか難しい。

—好きな言葉は

ベタですが、「Life is comedy (人生はコメディーだ)」。恥ずかしいから、大きな声では言えませんけど(笑)。

—好きな食べ物は

寿司。最近、外苑西通りにある寿司屋に良く行きます。どの店も銀座老舗店で修業してきた、僕らと同世代の人たちがやっているんですけど、競って独創的な寿司を食べさせてくれる。僕はそれを単独ライブと呼んでいます(笑)。

—尊敬する構成作家は

三木聡さん。シティボーイズライブの脚本や演出を手掛けていた方ですが、三木さんのコントは単に面白いだけでなく文化がある。最初に見た時、本当に衝撃でした。あと、新しい笑いを分かりやすく伝えてくれる三谷幸喜さんも好き。

—リフレッシュ法は

足裏マッサージと漫画。「ワンピース」は、死ぬ程読んでます。

—趣味は

音楽鑑賞。最近は、一緒に仕事をしている「ももいろクローバーZ」や「在日ファンク」「星野源」の曲を聴いたりしている。あとは歴史を調べること。お笑いでもロックでも、歴史的観点から見ると色んなことが分かって面白い。

—最近、感動したことは

今春、シティボーイズのライブで初めてコントを書かせてもらったが、それを大竹まことさんが褒めてくれたこと。ライブ後に肩を組まれて「オークラ、勘弁してくれよ〜」って笑顔で言われた時は本当にうれしかったですね。

—仕事道具は

スマートフォンと折りたたみ式キーボードとマルマン社のスケッチブック=写真。この3点は鞄の中に入れて、いつも持ち歩いている。アイデアが浮かんだ時、メモっておかないと忘れちゃうんで(笑)。

 

取材後記
取材のアポを取るまで、何度電話したか分からない。ようやく繋がっても、「これから会議なので本当にスミマセン」と慌ただしい様子。激務であることがインタビューする前から伺い知れた。  取材中も頻繁にメールが届く。が、約2時間近く構成作家になった経緯や現在の仕事、理想とするコントなどを熱く語ってくれた。バナナマンやももいろクローバーZなど会話中に旬の人たちの名前がポンポン出てくる。とはいえ、芸人やアイドルの人気に寄りかかるようなことはしない。最後にモノを言うのは実力であることを、重々知っているからだ。  「ライブでもテレビでも仕事のスタンスは変わらない。引き受ける基準は『面白いか面白くないか』、作りたいのは『見る人がビックリするような今までにない笑い』です」 第一線で活躍し続けるのは容易ではないが、それを可能にしているのがこの「ブレない姿勢」なのだろう。現在、抱えているバラエティー番組は10本以上。オークラ氏の快進撃がどこまで続くのか、これからも楽しみだ。

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