詩画作家 星野 富弘 さん

ほぼ毎日、自宅の庭を散歩する星野さん。
取材時はユリやアジサイが咲き誇っていた=桐生市新里町

今年は公私ともに節目の年

「人生って不思議というか、マイナスの隣には必ずプラスがあるんですね」

 

【大変なのはみんな一緒】

9年間に及ぶ闘病生活を綴った手記「愛、深き淵より。」が出版されて30年。「詩画作家・星野富弘」誕生の出発点となった第1作は140万部を超えるベストセラーとなっている。事故による頸髄損傷、首から下の機能麻痺、母親の献身的介護、絵や詩の創作、キリスト教入信、昌子夫人との結婚—絶望の渕から希望を取り戻すまでの奇跡とも言える軌跡は、今なお多くの人の心を捉えて離さない。「体が不自由であろうとなかろうと生きていく過程で誰もが困難にぶつかる。仕事、勉強、人間関係、子育て、境遇は違っても大変なのはみんな一緒。不安や迷いに対峙する時の心持ちに多くの人が共感してくれたのではないでしょうか。応援して下さる気持ちももちろんあるでしょうが本当にありがたいこと」

【見たままを写し取る】

出版30周年、結婚30周年、富弘美術館開館20周年と今年は公私共に節目の年。何より口に筆をくわえ文字や絵を描き始めてから40年目になる。病床で書いた初めての字はカタカナのア。「線一本引けただけでうれしかった。それまで何一つ出来なくて生きていても仕方ないという気持ちもありましたから。吐き気がして大変だったが夢中でした」。
失意の中で手にした創作活動は年月を経て進化・深化し詩画という独自の表現へと昇華していく。が、紙に向かう時の喜びは今も変わらない。制作はほぼ毎日。スランプに陥った時は、散歩し心身をリセットする。入院中は母親、退院後は昌子夫人が色作りを手伝う。「2人で生み出した作品は子供のようなもの。ダメな子ほど可愛いというか出来に関係なくどの絵もいとおしいですね」
好んで描くのは野の花。心掛けているのは見たままを写し取ることだ。「雑草って地味ですけど一つひとつ違うし、曲がった茎とか突拍子もないところが面白い。虫食い葉や萎(しお)れた花も見たままを描くと意外に良くて、逆に手を加えるとつまんない絵になっちゃう。それは文章や詩も一緒。書いている内にどんどん自分が無くなっていくのです」

【私が私になった瞬間】

「あるがまま受け入れる」—創作姿勢は真摯な生き方とも重なる。その大もとを支えているのが信仰だ。洗礼を受けたのは入院中、28歳の時。人生の伴侶とも巡りあう。「思い通りにならない人生を恨んだり人と比べて落ち込んだり。どこへ向かえば良いか分からずフラフラしていた時、信仰と出合い一筋の光が見えた気がした。体が動かなくても良いんだ、今の苦しみは一時的な試練なんだ、逃げずに受け入れ乗り越えていけば良いんだと。私が私になった瞬間でした」 とはいえ怪我も信仰も、初の個展も当初は嫌なものでしかなかったという。が、後にこの3つが転機となり人生を大きく変えていく。「今みたいな現実が待っているとは想像もつかなかった。人生って不思議というかマイナスの隣には必ずプラスがあるんですね」

【見る楽しさ途切れない】

星野さんの作品は、生まれ故郷にある富弘美術館で見ることが出来る。今年開館20周年。これまで約607万人が訪れた。現美術館は円筒状の33部屋からなり、柱や廊下はない。星野さんは当初、そのプランに反対だった。「単純に使いづらいなと。でも、絵を飾ってみたら違った。部屋から部屋へ進む構造は、忠臣蔵の討ち入りみたいで赤穂浪士が吉良を追い詰めていくシーンのように気分がどんどん高揚してくる。見る楽しさが最後まで途切れない」
今、同館では「原田泰治と星野富弘」展が開かれており、来月2日からは「『愛、深き淵より。』出版30周年記念展」が始まる。入院中に描いた絵や詩など、原点ともいえる作品が並ぶ。「詩画と共に豊かな自然も見て欲しい。館周辺の景色は何百億円かけても作れませんから」

【震災後も自然を描く】

3月11日、星野さんの住む桐生は震度6弱の地震に襲われた。部屋の壁にはヒビが入った。テレビの津波映像は衝撃的すぎて、制作がしばらく手に付かなくなったという。「俺の描くものなんかちっぽけすぎちゃって、こりゃダメだなと。震災直後は被災地の方と共に悲しむ事しか出来なかった。でも、『多くを失った人には多くが与えられる』そう信じています」 創作意欲を取り戻したのは約1カ月後、ガレキの間に咲く花の映像を見た時だった。「自然は時に酷いことをするが、同時に人を助けてもくれる。ズタズタの大地から花を咲かせる生命力に、生きる希望を見出した人も多かったでしょう。やはり震災以降も身近にある自然を描いていこうと思いました」
震災から5カ月余。今年はスケジュールの都合で厳しいが来年以降、被災地での詩画展開催の計画もある。節目の年を迎えた星野さんは、これからも変わらず人々の心に大輪の花を咲かせて続けていく。

文:中島 美江子
写真:高山 昌典

【プロフィル】Tomihiro Hoshino
46年勢多郡東村(現みどり市)生まれ。70年群大を卒業し、中学校の体育教師になるがクラブ活動指導中に頸髄を損傷し手足の自由を失う。79年、初の個展を開く。81年以降、「愛、深き淵より。」「風の旅」「種蒔きもせず」など数々の著書を出版。06年、名誉県民となる。現在も国内外で「花の詩画展」が開かれており、また詩画や随筆の創作活動も精力的に継続中。

 

〜星野氏へ10の質問〜

顔彩は日本の花に良く合う

—好きな食べ物は

うどん。子供の頃嫌いだったが今は一番の好物。1日おきに食べている。お切り込みも好きですが、今はそうめんが多いかな。

—習慣は

散歩。1日1回は外に出てボヤっとします。空を見ているだけでも楽しい。

—自身を花に例えると

オオバコ。豊かな土地には生えなくて、人の歩く道の隅っこにひっそり咲いている。葉っぱと茎が丈夫で、踏まれても大丈夫なんですね。引っ張ってもなかなか切れない。

—花以外に描きたいもの

人間。動物や鳥はちょこちょこ描いていますが、人の顔はなかなか描けない。

—尊敬する人は

三浦綾子さん。「塩狩峠」を初めて読んだ時の衝撃は今でも忘れられない。三浦さんは、まだ俺の中で生きています。ずっと目標にしている人。足元にも及びませんけど。

—好きな作家は

やはり三浦綾子さん。「塩狩峠」や「道ありき」などの代表作はもちろん、ほとんどの作品を読んでいます。あとは八木重吉さん。八木さんの作品は、あまり詩っぽくないのですが、どれも大好きですね。

—座右の銘は

聖書の言葉。人生に必要なことがいっぱい書いてある。具体的にどれとは言えないですけど。

—愛用の画材は

昔から使っているのはホルベインとペリカンの透明水彩絵具。最近は顔彩を使う機会が増えました。くすんだような色が多いが、日本の花には良く合います。

—今、関心あることは

震災と原発。今後どう復興していけば良いのか、政府に任せきりにするのではなく自分も含め、一人ひとりが真剣に考えなければいけない問題です。

―群馬のお気に入りは?

谷川岳。年に1度は一ノ倉沢出合まで行き、しばらく岩壁を眺めます。何度行っても飽きません。

 

取材後記
写真撮影では車椅子を自由自在に操り、こちらの要望に瞬時に対応してくれた。「キャスター付きの人間って、そうはいないでしょう」と茶目っ気たっぷり。怪我のことをつい忘れてしまうが、取材中、切開した気管支部分を昌子夫人が何度も押さえにやって来た。そうしないと声が続かないからだ。やはり大変そう。「でも、あまり恵まれすぎちゃうのも良くない。言葉や詩が出てこなくなっちゃいますからね(笑)」とのこと。かなりタフだ。体が不自由だからではなく、この強い精神力があるからこそ多くの人を感動させる詩画が描けるのだと納得した。