手[12月22日号]

実家の父は86歳、認知症である。通所介護サービスを利用しながら母と2人、東京で暮らしている。認知症と診断されてから5年。約束の日時を忘れる、貴重品を無くすといった失敗は数知れず。4年前の夏には、猛暑の炎天下で7時間以上徘徊、3年前の冬には転倒してコンクリート塀に頭を強打、10針縫う怪我を負った。命も危ぶまれるようなトラブルを幾つも経験し、私も多少のことでは驚かなくなった。

しかし今年の春以降、父は私が誰なのか、わからなくなることが増えた。父の中から自分の存在が消えていくのはさすがに寂しく胸にこたえた。言葉ではない方法で自分が娘なのだと伝えたくなり、父の手を両手で握ってみた。父の手を握ったのは何十年ぶりだろう。その分厚い掌からは、幼い頃に手をつないで散歩したことや遊んでもらった記憶が一気に流れ込んできた。親子であることを忘れていたのは私の方だったのかもしれないと、はっとさせられた。私の手から何が伝わったかは分からないが、父は穏やかな表情でウンウンとうなずいていた。

つい先日、父は一時的に意識を失い救急搬送された。幸い命に別状はなく、私が群馬から駆けつけると元気に憎まれ口を叩いた。身体は頑丈、我慢強く勤勉だが素直な物言いが苦手な昭和一桁生まれ。それでも手を握ると固かった表情を緩ませ「また会えて嬉しい。有り難う」と呟いた。

(野崎律子)

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