昆虫学者 矢島 稔 さん

虫の不思議伝える案内人

昆虫の謎を一つでも解明し、その面白さや素晴らしさを皆さんに届けたいですね

 

【子供たちの意識を高める】

「カブトムシに鼻はあるか。そうだよな。君、これは良い質問だよ。確かに鼻無いよね」 NHKラジオ「夏休み子ども科学電話相談」。ドクトル・ムッシーの愛称で親しまれているぐんま昆虫の森名誉園長の矢島稔さんは、いつもの名調子で子供の質問にユーモアを交えながら答えていった。出演は今年で31年目。回答者中、最年長で最長出演記録を持つが質問に答えるのは今でも難しいという。「知識の切り売りじゃダメですから。しっかり聞いて、相手の疑問を上手に引っ張り出してあげないといけない。でも、正解を教えることだけが目的ではないし僕でも分からないことはいっぱいある。観察ポイントやヒントを与え、『もっと知りたい』という子供の好奇心や意欲を高めることが我々の役目です」

【論文入賞で昆虫研究の道へ】

小さい頃からセミを採って遊んでいた。戦時中は学徒動員で工場に駆り出され、朝から晩まで働いた。旧制中学3年の時に終戦を迎える。軍国主義から民主主義になり価値観が一変。抑圧された日々から解放され、大好きな昆虫観察にのめり込んでいった。49年、日本昆虫学会主催のコンクールで論文が入賞、昆虫研究の道に進むことを決意する。大学では蛾の研究に没頭。卒業後は豊島園で昆虫館の設立に携わり、多摩動物公園園長就任後は日本初の昆虫生態園を創設した。蝶が飛び交う世界最大の温室は同園の目玉となり、海外から視察が訪れるほど注目を集めた。「箱に入った虫を展示しても面白くない。ならば、温室を作ってその中を人が歩けば良いと。これは、初代園長の林寿郎氏が考案したサファリ形式のライオン園からヒントを得た。昆虫が間近で見られるとあって、お客さんに喜ばれましたね」

【虫を発見する喜び感じて】

昆虫生態園開設の経験を買われ、ぐんま昆虫の森園長に就任。計画段階から関わり、「昆虫の住む環境全体を肌で感じられるフィールド」を創出した。先月27日には開園10年目にして来園者100万人を突破。年間10万人以上が訪れる人気スポットに育て上げた。東京ドーム約10個分の敷地には雑木林や桑畑が広がり、カブトムシなど多彩な生き物が生息。沖縄西表島の環境を再現した「生態温室」には亜熱帯地域の植物が生い茂り、世界最大級のツマベニチョウなど珍しい蝶が舞う。

里山をまるごと整備した昆虫園は、ハード面だけでなくソフト面でもユニークな試みを行っている。捕虫網を貸し出し入園者が自由に昆虫を捕れるようにしているが、これは世界の昆虫館で初の取り組み。「虫を見せるだけの施設ではありません。私がそうだったように、里山を駆け回り自力で虫を発見する喜びを体験してもらいたい。小さな命がどのように育まれるかを知るには、捕まえて観察するのが一番。昆虫は命の不思議さ、自然の偉大さを教えてくれる文字通り『生きた教材』です」

【本物を見ることが大切】

昆虫の森では月2回、おもしろ講座を開く。毎回50人以上が集まる人気プログラムだ。参加者の素朴な疑問に対し自ら撮影した写真などを示しながら丁寧に解説していく。子供はもちろん大人にも好評だ。が、最近、子供とのやり取りの中で気になることがある。インターネットの普及で知識はあるが、肝心の生き物との触れ合いがなく体験がバーチャルになっていること。さらに、虫を嫌悪する子が増えているという。「ネット情報も良いが、本物を見ることが大切です。大きさ、匂い、重さ、温度、柔らかさ、そして熾烈な生存競争など五感を通してしか得られないことがたくさんありますから」

おもしろ講座の講師やラジオ電話相談の回答者など、83歳になった今も啓発普及活動に取り組む。長年の実績が評価され、13年度に日本動物学会の動物学教育賞を受賞。今春には50年代から撮りためてきた秘蔵写真と観察記をまとめた「観察の記録六十年」を出版した。約10万枚から選んだ129カットは、母親の袋の中にいるカンガルーの赤ちゃんや樹液に群がるオオムラサキなど貴重な写真ばかり。「命のきらめきがいっぱい詰まっている。私の感動が伝わり、昆虫に興味を持ってくれる人が増えてくれたらうれしい」

【衰えない研究への情熱】

現在、自然保護や植樹運動など10以上のプロジェクトに関わり、講師や審査員などで全国を忙しく飛び回る。普及活動や後進育成はもちろん、研究への情熱も未だに衰えていない。72年から皇居・吹上御所の庭でホタルの定着に取り組んできたが、今も飼育や観察を続ける。「この仕事に携わり60年以上経ちますが、生き物のことは分からないことだらけ。でも、じいっと見つめていると未知の扉が開く瞬間がある。虫を知ることは自分を知ること。虫も人間も自然も全て繋がっていて、支えあって存在していることが実感できます。これからも昆虫の謎を一つでも解明し、その面白さや素晴らしさを皆さんに届けたいですね」 そこには、瞳を輝かせ頬を上気させた83歳の少年の顔があった。昆虫の不思議な世界を伝える案内人として、まだまだ第一線を走り続ける。

文・写真/中島美江子

【プロフィル】Minoru Yajima
30年東京生まれ。東京学芸大卒。豊島園の昆虫館、多摩動物公園昆虫園を創設。多摩動物公園園長などを務める。ぐんま昆虫の森園長を経て13年4月から名誉園長に。NHKラジオ夏休み子ども科学電話相談の回答者として活躍。13年に日本動物学会の動物学教育賞受賞。「わたしの昆虫記」など著書多数。東京在住。

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