画家 山口 晃 さん

ガラスブロックに囲まれた開放的な展示室に佇む山口さん。背後には電柱群がそびえ立つ=銀座の「メゾンエルメス8階フォーラム」

【常に縮小再生産でない作品を】

「あの世へ行くまでに、先達に顔向け出来る1枚が描けたら、まあ良いかなあと(笑)」

 

【東京の記憶などを再構築】

名だたるブランド店がひしめく銀座にあって、その外観が一際目を引く「銀座メゾンエルメス」。世界的建築家レンゾ・ピアノ氏が手掛けたガラスブロック15000個からなるビル8階のギャラリー「フォーラム」で来月13日まで、個展「望郷―TOKIORE(I)MIX」を開いている。大和絵の手法をベースに、古今東西の風景や風俗、交錯する時空を巧みに融合させた作風で知られる気鋭の画家だ。「今展では時をテーマに時間軸を組み替え、東京という場所が持つ記憶や痕跡などを私なりにリミックス(再構築)してみました」
新作3点で構成された展示空間で、まず目を奪われるのが天井までそびえ立つ電柱群。黒々したシルエットが圧倒的な迫力で迫ってくる。その近くに佇む仕掛け小屋は傾き、入室者の平衡感覚を容赦なく奪う。そして、洛中洛外図から想を得た俯瞰図。皇居に天守閣、東京タワーにスカイツリーと過去現在未来、そして作者の個人的な記憶や思い入れがごちゃまぜになった東京の街並みが墨一色で描かれている。街全体が、まるで一つの生命体のようだ。
一見、ユーモラスでノスタルジック。が、3作品には歴史の連続性と断絶、環境破壊や原発といった都市が抱える矛盾がチクリチクリとちりばめられている。「訳のわからない作品を見続けるのは疲れることですが、そこを堪え一定時間、展示空間に身を委ねて頂きたい。普段、他人に握られている多くの時間を、自ら手にする感覚が体得できるかもしれませんから」

【折込チラシに落書き】

東京生まれ。3歳で桐生に転居し高校卒業までの15年間を過ごす。幼い頃から絵を描くのが好きだった。「折込チラシに思い浮かんだイメージを落書きしては遊んでいました。飽きるとやめてしまうので仕上げた絵は一枚もなかったですが(笑)」。 将来、画家になりたいというより何となく絵を描いて暮らしていけたらと考えていたお絵描き少年は、成長するにつれ表現したいイメージに画力が追い付かなくなっていく。「空想を再現できる技を身に付けたい」と東京芸術大学へ進む。
大学では油画を専攻。西洋美術の流行に追従してきた近現代の日本美術に違和感を抱き、近代以前の日本の伝統美術を油画に取り入れ独自の表現を追及していく。「ところが自分の中には桂離宮も俵屋宗達も無く、あるのはツーバイフォー住宅とテレビに漫画。はたと行き詰まり美大生でありながら一旦、美術の看板を下ろすことにしました(苦笑)」

【洛中洛外図に痺れた】

近代以前の日本がないならば勉強するしかないと、本物の近世絵画や図録を見ながら古典のエッセンスを貪欲に吸収していく。一方で自らの原点を突き詰めていった結果、辿り着いたのが落書きだった。美術史の文脈に縛られず好き勝手に描こうと開き直った時、その後の方向性を決定付ける出合いが訪れる。京都の街と公家や武士、庶民の暮らしを俯瞰的視点から描き込んだ大和絵の洛中洛外図。「消失点もなければ影もない。油画を学んだ者からするとハチャメチャなんですけど、そこには借り物ではない本質が表現されていた。斬れば血が出るような作品にとにかく痺れまして。これは大威張りで真似しようと思いました」 とはいえ、表面をなぞるだけでなく当時の人々のメンタリティーをも独自に咀嚼し現代に繋げることを試みた。結果、山口さんの代名詞と言われる大和絵風の都市俯瞰図が誕生する。

【活躍の場は多ジャンルに】

同大学院修了後、確かな描写力と豊かな想像力を駆使し、ユーモアと機知と批判性に富んだ俯瞰図を数多く発表。絵画に限らず、「山愚痴屋澱エンナーレ」と名付けた一人国際展のインスタレーションや立体など展覧会ごとに新機軸を打ち立てていく。今展でも、色を排した俯瞰図を描いたり平面の電柱作品を立体にするなど新境地を切り開く。「常に縮小再生産でない作品を見せたい。毎回、空想をそのまま形にするのではなく、イメージの源泉を自前の言葉で表現するよう心掛けています」
展覧会はもとより、活躍の場は公共広告機構CMから日本橋三越ポスターや成田空港の壁画、五木寛之著「親鸞」の挿絵、エッセー漫画、コラムまで多ジャンルに及ぶ。仕事は常に掛け持ち状態。「不思議なもので、やりたいと思っているとどこからか声が掛かるのです。安請け合いして後で苦しむのですが(苦笑)」

【画家の夢は時と共に変化】

1日20時間描く時もあれば、全く筆を持たない日もある。が、制作以外は近所を散歩するなど淡々と暮らす。画家としての夢は、時と共に変化し続けている。「ちょっと前までは美術史の一番左端に載りたいと思っていましたが、今はあの世へ行くまでに先達に顔向け出来る1枚が描けたら、まあ良いかなあと(笑)」
現在、個展の傍ら須藤元気率いるダンスパフォーマンスユニットのCDジャケット制作などに励む。秋には京都での個展も控えている。エルメスでの個展に続き、ここでも別次元の山口ワールドを見せてくれるに違いない。

文:中島 美江子
写真:高山 昌典
協力・エルメスジャポン
ミヅマアートギャラリー

【プロフィル】Yamaguch Akira
69年東京生まれ、桐生育ち。96年、東京芸術大学大学院美術研究科絵画専攻修士課程修了。01年、第4回岡本太郎記念現代芸術大賞優秀賞を受賞。07年に会田誠との二人展(上野の森美術館)、同年~09年に練馬区立美術館やアサヒビール大山崎山荘美術館で個展。昨年はシンガポールで海外初の個展を開く。展覧会のほかにも、CDジャケットや挿絵、パブリックアート、コラム執筆など幅広い活動を展開中。東京在住。

 

〜山口さんへ10の質問〜

観光大使として桐生が岡公園は外せない

―尊敬する人は

冒険家の植村直己氏。冒険って絵と似ていて、無限の可能性はあるけれど無くても全く構わないもの。それをやり切って遭難した。5大陸を制覇したからでなく、南極横断距離3000キロを体感したいために日本縦断してしまう所が好きです。

―好きな食べ物飲み物

お蕎麦に日本酒。

―好きな言葉は

自作の「反省好きの反省知らず」。反省ポーズだけで懲りずに同じ事をする人を揶揄する言葉ですが、一方で過ぎた事に対してする反省は新しい事態には全く役に立たないので、しても仕方ないという意味もあります(笑)。

―長所短所は

いい加減なところが、長所でもあり短所でもある。

―画家でなかったら

小説家やイラストレーターなど、やはりイメージを形にする仕事に就いていたでしょうね。

―やってみたいことは

京都八坂神社の祇園祭を通しで見てみたい。

―習慣は

散歩。良い気晴らしになっていますが、毎日は出来ません(苦笑)。

―今展で使用した画材や資料は

10年物の松煙墨や呉竹の墨汁、世界堂の筆を使いました。新品の筆よりチビ始めがちょうど良い。参考資料は、幕末明治期から現在までの東京地図6冊とグーグルマップ=写真。

―桐生のお気に入りは

桐生市の観光大使を務めていますが、やはり岡公園は外せない。子供の頃、公園に行くのが一大イベントでした。あと、洋食店「芭蕉」は僕にとって心の店。店の構造に何度行っても胸がときめきますね。

―最近感動したこと

先日、セザンヌ展を見てウルっときました。セザンヌは作品に絶対的な自信を持っているけれど、一方で世間の評価に傷付き常に不安を抱えていたんですね。なぜ、そこまで苦労するのかと思うが、最前線で仕事をする人は孤独にならざるを得ない。そんな生き方を知り、大いに励まされましたね。

 

取材後記
取材当日、開館前のエルメス個展会場にヘッドホンを付け黙々と俯瞰図を描いている山口さんがいた。制作は今も継続中で、画面は刻一刻と変化している。現在進行形の絵を見に足しげく通う人も多いとか。作品は勿論、制作スタンスもかなり自由だ。
インタビュー中も、ちょいちょい脱線した。真面目モードでしゃべっているかと思えば、急に妄想話や小芝居を始めたり、頭の中のイメージを紙に描き始めたり。どこまでが本当でどこまでがネタなのか、首をひねることもしばしば。遊び心とサービス精神が満載なのだ。
だからこそ、リアルさと荒唐無稽さ、皮肉とユーモアが入り混じった表現世界を作り出せるのだろう。まさに「このキャラにしてこの作品あり」。このまま飄々と、どこまでも突っ走って欲しい。

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