画家 町田 久美 さん

130号2枚組の巨大な新作「蜜月」と町田久美さん=東京日本橋の西村画廊

何を感じてもらえるかは受けて次第

世にある無限に近い様々な形の関係性を発露させる、ささやかな装置として作品が機能すれば幸いです

 

【2年半ぶりに個展を開催】

大胆に切り取られた構図と太い輪郭線、性別も年齢も曖昧なモチーフは一度見たら忘れられないインパクトを放っている。和紙や墨など伝統的な素材を用いながらも、従来の日本画のイメージと大きくかけ離れた作風で知られる気鋭の画家だ。今夏、日本の現代アートシーンをけん引し続ける老舗ギャラリー「西村画廊」(東京)で2年半振りの個展を開いた。 130号2枚組の大作「蜜月」を中心に、「寓話」「二夜」「白い部屋」など新作約30点を発表。彼方を凝視する2つの瞳、逆立つ髪の毛、ベールに覆われた顔‐描かれた人物はどこかしら奇妙で、画面の余白には不穏な空気が漂う。力強く繊細な線描と詩的なタイトルは想像力を大いにかきたてるが、そこから明確なメッセージを読み取ることは難しい。「世にある無限に近い様々な形の関係性を発露させる、ささやかな装置として作品が機能すれば幸いです。そこから何を感じてもらえるかは受け手次第」

【厚塗りの絵から線描へ】

子供の頃から「お絵かき」が大好きだった。小学校の卒業文集に書いた将来の夢は、「美術大学に行って絵を描く仕事に就く」 高校では美術部に入部、美術予備校では日本画を学ぶ。「油絵具のにおいが苦手で木炭デッサンも未経験。水彩と鉛筆デッサンで受けられる科はどこかと探し辿り着いたのが日本画でした」
美大に受かるも今度は岩絵具に悪戦苦闘する。これまで使ってきたチューブ絵具と違い一定の手順を踏んでから使用する岩絵具は意図した通り表現できず、もどかしさを感じた。が、「絵を描いていく」という思いに迷いはなく卒業後もアルバイトをしながら画廊などで作品を発表し続けた。この頃、創作と並行して縁起物の制作をスタート。作風は厚塗りの絵から線描へと移行していった。

【描きたいものに集中】

当時、縁起物は貴重な収入源の一つだったが、制作を続けていくことに疑問を抱くようになる。「縁起物の制作は楽しかったけれど、やはり本業は絵という思いがあり、このまま言い訳をし続ける人生で良いのかと悩んだ。原点に戻って自分が本当に描きたいものに集中しようと30歳を前にスッパリ辞めました。周囲の人間からは猛反対されましたが(苦笑)」
進むべき道は決まったがツテもアテもない。出版社に作品を持ち込んだり、コンクールに出品したり、海外の美術関連ウェブサイトにプロフィールを載せたり、「当時、自分で出来る限りのことは全てやった」結果、前橋アートコンペライブでのグランプリ受賞やアムステルダムでの個展開催など数々のチャンスをつかむ。「出版社に行けばイラストでも漫画でもないと言われ画廊では展示向きの作品ではないと門前払い。でも、世界に一つくらいは自分の作品を気に入ってくれるところがあるのではないかと思い、地道に制作を続けていました」 以降、07年に上毛芸術文化賞、ソブリン・アジアン・アート・プライズ(最高賞)受賞、08年には文化庁芸術家在外研修員としてデンマークで滞在制作を行う。さらに同年、ドイツと郷里の美術館で個展を開き国内外での評価を一気に高めた。

【制作するのは主に夜中】

モチーフはキューピー人形や縁起物から人物へと移行したが、極細線の集積からなる独自の描法は20年近く変わらない。髪の毛程の線を重ねていく作業は緻密で、時にマウスピースの装着が必要な程だ。恐れ、悲しみ、憤り、不安など様々な思いが重層的に塗り込まれた墨線はクールで、キリキリした緊迫感とカラッとしたユーモアがにじむ。ストイックで「甘くない」世界を創り出せるのは、冷徹な眼差しのなせる業。「制作するのは主に夜中。希望やポジティブなモノはなく、ネガティブで暗い感情の川にどっぷり浸かりながら、時にはボロボロ泣きながら描いている。ただ、感情に任せて出来たものはナルシスティックで見るに堪えなかったりするので、朝起きてから客観的に再考する作業は欠かせないですね」

【「人間」に興味がある】

不気味さと無邪気さ、神聖さと滑稽さ、力強さと繊細さ‐相反するモノがまじりあう作品は曖昧模糊としていて一見、非日常的な情景に見えるが、どれも経験に基づかれている。最近、対象物や事象の捉え方・見せ方が変化してきている。一時期、子供のモチーフを頻繁に扱っていたが、今や画面に登場することはほとんどない。センチメンタリズムを排除し、より普遍的なモノを描きたいという気持ちが強くなってきたからだ。
一方、追求するテーマは一貫してブレない。「人そのものではなく、人間関係の在り方やコミュニケーションの断絶など、目に見えないモノをカタチにしていきたい。人と関わるのはあまり得意ではないけれど、結局は人間にしか興味がないんですね」

【目的地はまだ分からない】

自分が描きたいものを描く」と覚悟を決めてから15年余。模索していた時代に蒔いた種が、今ポツポツと芽吹き始めている。個展やグループ展に加え、澁澤龍彦「サドの淫蕩学校」の挿絵や大江健三郎「個人的な体験」の表紙絵など活躍の場は年を追うごとに広がっている。「やってきたことが思わぬところで繋がってきた。目的地はまだ分からないけれど、向かっている方向は間違いではないと思います」 端正な顔に柔らかな笑みが浮かんだ。

文:中島 美江子
写真:高山 昌典

【プロフィル】Kumi Machida
70年高崎生まれ。多摩美大絵画科日本画専攻卒業。04年に西村画廊で最初の展覧会を開く。12年に初の画集を刊行。13年は「ジパング展」(高崎市美術館)「アジアの女性アーティスト展」(三重県立美術館)などに出品する。東京在住。

 

〜町田久美さんへ10の質問〜

最近はゆっくりと旅するようになりました

—最近うれしかったことは

約2年半振りに西村画廊さんの個展で新作=写真上=を発表できたことです。

—趣味は

古本屋や骨董屋巡り。街を歩いていて、気が向くとブラリと立ち寄っています。

—好きな食べ物飲み物は

季節の果物です。出来る限り毎日食べるようにしています。飲み物は炭酸水が好きです。

—習慣は

毎日の習慣にしていることは特に無いです。強いて言えば制作中は家に籠りがちになるので、窓を開けたりして出来る限り日光や外気を室内に取り入れるようにしています。

—今、やりたいことは

旅行。20代の頃は、いわゆるバックパッカー的な旅をして大変な目にあったりもしましたが、最近はゆっくりと旅するようになりました。

—リフレッシュ法は

寝ることが一番の気分転換です。制作中は一度にまとめてではなく、ちょこちょこと分割して取っています。

—好きな洋服ブランドは

ヨウジヤマモトやリック・オウエンス。シンプルで丈の長い服が好きです。

—高崎のお気に入りは

お堀端から観音山にかけての春の桜。桜吹雪の頃を選んでよく散歩していました。あと、冬の夕焼け空も気に入っています。空気が乾燥しているので上毛三山や浅間山がクリアに見えて本当に美しい。

—マイブームは

「残欠」を収集すること。仏像の蓮華座の花弁1枚や仏像の手だけといった、物の断片や一部が欠けていて不完全なものを指す骨董用語らしいのですが、そういった物を部屋に飾ったりして楽しんでいます。

—愛用の鉛筆は

ドイツ製の鉛筆「Schwan STABILO micro(スワン・スタビロ・マイクロ)8000」=写真下。予備校時代からずっと愛用しています。書き心地の良い鉛筆はほかにもたくさんありますが、芯の硬さがちょうど私好み。ただ、残念なことに数年前に廃盤になってしまった。本国はもちろん、あちこち探しましたが見つからなくて今手元にある分しかない。復活してくれることを期待しています。

 

取材後記
「彼女は人との繋がりやディスコミュニケーションなどをテーマに描いているが、1枚だけ見て全てが分かるようなものではない」 西村画廊の西村建治代表が言うように、町田さんの作品から一つの解を導き出すのは困難。自意識の葛藤や社会に対する違和感、他者への共感や不安など複雑な心情が絡み合う画面は、漠としていて凝視せずにはいられない。一方、「人間関係に正解はない」というメッセージを読み取ることもでき、凝り固まった考えがスルスル溶けていく。人間関係に悩んでいたり、自分を持て余し気味の人は必見だ。

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