群馬で出会える渋沢栄一

「日本経済の父」と称され、みずほ銀行やJR東日本、帝国ホテル、王子製紙といった今に続く有名企業など約500社の創立や発展に貢献し、約600の教育福祉事業にも携わり日本の礎を築いたとされる渋沢栄一(1840~1931)。幕末から明治、大正、昭和に渡って活躍した実業家で、2024年に新しくなる1万円札の肖像にも選ばれた。安中市やみなかみ町でロケを行い渋沢の生涯を描くNHK大河ドラマ「青天を衝け」の放送も先月から始まった。今号では、「群馬で出会える渋沢栄一」と題して注目の人物を特集する。常に前向きに歩んだ偉人の生き方を、閉塞感漂う今でこそ、たどってみたい。(谷桂、上原道子、塩原亜希子)

富岡製糸場の設立に大きく尽力

富岡製糸場(富岡市)の設立にも深く関わった渋沢栄一は、江戸時代の1840(天保11)年に、現在の埼玉県深谷市血洗島(ちあらいじま)に生まれる。生家は養蚕を営み、藍玉の製造や販売もしていた裕福な農家。従兄の尾高惇忠のもとでは、孔子の「論語」などを学んで育ち、生涯の考え方に影響。晩年にはベストセラーになり読み継がれている著書「論語と算盤」を刊行している。

23歳の時、倒幕思想から高崎城を乗っ取り横浜を襲撃する過激な計画も企てたが、惇忠の弟の尾高長七郎に説得されて未遂に終わった。フランスのパリ万博から帰国後、29歳で明治政府に仕え、官営富岡製糸場設置主任となった。1872年には、主要な輸出品であった生糸の品質向上と増産のため、富岡製糸場が設立。計画や調整に深く関わった。殖産興業政策の中、初代場長には養蚕の知識もあった恩師の尾高惇忠を抜擢したという。

1873年には、大蔵省を辞めて実業家の道へ。33歳で日本初の民間銀行、第一国立銀行を設立。その後も、鉄道や紡績など多くの企業の設立や社会福祉事業に携わる。昭和になってからは、87歳の時に、「青い目の人形」による日米の親善交流など民間外交にも努めた。

渋沢との関わりを見る、楽しむ

◆富岡・世界遺産センター
伊勢崎・島村地区とのつながり示す実物資料10点

富岡の県立世界遺産センターでは、渋沢栄一と富岡製糸場、田島弥平旧宅のある島村地区との関わりについて紹介するパネル展示を2階のトピックス展示コーナーで開催中だ。パネルは3枚。渋沢栄一の人物紹介や、富岡製糸場と絹産業遺産群と関わりのある人物や事がらを紹介している。また、実物資料として、田島武平や田島弥平が島村勧業会社設立の際、定款作成についてやり取りした書簡や、晩年の渋沢栄一が田島武平の功績を記した書物「出がら繭の記」など10点を展示。同センター普及調査係の中島秀規主幹は「富岡製糸場と絹産業遺産群の新たな魅力や渋沢とのつながりに注目してほしい」と話す。5月30日まで。水曜休館。同センター(0274-67-7821)。

◆安中市役所松井田庁舎
「渋沢と安中」パネル展 34枚で「見ごたえ十分」

大河のロケ地として協力した安中市は松井田庁舎で、同市と渋沢栄一との関わりを紹介するパネル展「 渋沢栄一と安中」を開催中だ。31日まで。若き日の渋沢が信州へ藍の買い付けに行く途中、安中宿や松井田宿に泊まったことが解説されているほか、ゆかりの地や栄一と交流のあった安中出身の人物などを34枚のパネルで紹介している。展示内容を要約したリーフレットも無料配布中だ。吉岡町から展示を見に訪れた石関和幸さん(63)は、「見ごたえ十分。新しい発見もあり、『大河』を見るのがさらに楽しみになった」と展示に見入っていた。

同市観光課の湯浅賢一郎さんは「碓氷峠の『めがね橋』のレンガが深谷駅と同じく渋沢の設立した日本煉瓦製造会社製であることや、同志社大設立時の新島襄との結びつきなど、様々な面で安中と関わりがあったことを多くの人に知ってほしい」と期待する。同展は、先月11日から約2週間、旧碓氷郡役所でも開催された。同市観光課(027-382-1111)。

◆渋沢栄一がしたためた塩原太助の記念碑
みなかみ・塩原太助翁記念公園

みなかみ町の塩原太助翁記念公園には、渋沢栄一が揮毫(きごう)した書をもとに建てられた「塩原太助の記念碑」がある。建立にあたり地元の実業家が渋沢に依頼。太助の生涯に共感した渋沢が書をしたため、碑は1928(昭和3)年に建てられた。公益と利他の精神に生きた、二人の偉人を結ぶ記念碑といえる。

上毛かるたで知られる塩原太助(1743~1816)は、旧新治村(現みなかみ町)の農家出身。苦労の後に江戸で大商人となった。巨万の富を稼ぎながらも謙虚に暮らし、多額の私財を道路改修や治水事業などの公益事業に投じた。

2015年に、渋沢栄一の自筆による書の原本が園内の宝物庫で見つかっており、今回の大河ドラマ放映を機に専門業者に修復を依頼。「塩原太助翁之碑 子爵澁澤榮一書」と書かれた長さ約5㍍、幅約2㍍の大作で、今後、修復から戻り次第、公園に隣接する塩原太助記念館での公開を予定している。同館(0278-64-1166、木曜休館)。

田島弥平の紹介動画に登場
伊勢崎

伊勢崎市は、大河ドラマ放映を機に、渋沢とゆかりが深い養蚕研究家の田島弥平(1822~1898)を紹介する動画を作成し公開している。

世界遺産・田島弥平旧宅のある伊勢崎市境島村は、渋沢の生まれた埼玉県深谷市血洗島と県をまたいで隣接しており、その距離はわずか2㌔ほど。渋沢のいとこの志げが田島弥平家の本家・武平家に嫁ぐなど、親戚関係にもあった。動画は、市の偉人などを紹介する「PICK UP! いせさき人」の一つ。田島弥平旧宅のPRキャラクター「くわまる」が、弥平や島村について紹介する約8分の動画で、田島武平を宮中御養蚕の世話役に推薦するなどした渋沢栄一についても触れている。動画は、市ホームページのほか、伊勢崎駅自由通路にあるモニター、駅前のインフォメーションセンターなどでも放映されている。市企画部広報課(0270-27-2711)。

◆かるたの札に 「富岡製糸の生みの親」
富岡

地元の有志らでつくる「NPO富岡製糸場を愛する会」発行の「富岡製糸場 絵手紙かるた」に渋沢栄一が登場している。読み札44枚のうち、「し」の札は「渋沢栄一 富岡製糸の生みの親」。絵札には肖像画が描かれている。箱絵にも読み札と絵札を掲載。同かるたは2013年、地元の絵手紙サークル「昌の会」のメンバーが描いた原作をもとに同NPOが製品化。これまでに7千部を作製。甘楽・富岡地域の小中高校や県内教育機関などに寄贈した。現在、富岡製糸場の売店と、印刷を手掛けた市内の若草印刷で購入できる。税別950円。同NPO事務局(090-8000-6581)。

渋沢生誕の地を訪ねて~深谷~

◆生誕の地にアンドロイド登場
旧渋沢邸「中の家」

旧渋沢邸「中の家(なかんち)」は、深谷市血洗島にある渋沢栄一の生誕の地。現在残る主家は、栄一の妹夫妻によって、1895年(明治28)に建てられた切妻造りの2階建てで、天窓のある養蚕農家の形を残している。栄一が帰郷した際には、一番奥の十畳間に寝泊まりをして、多忙な日々の疲れを癒したという。先月13日から、その上座敷には、栄一の80歳代の姿をリアルに再現したアンドロイドが、紋付袴を着用して座布団に座っているのを見学できる。正門近くには、まげを結った若き日の栄一の銅像が立っている。埼玉県指定旧跡「渋沢栄一生地」、深谷市指定史跡。
■開館時間は午前9~午後5時。無料。深谷市血洗島247-1

◆渋沢学問の原点
尾高惇忠の生家

富岡製糸場の初代場長を務めた尾高惇忠の生家=写真。惇忠は栄一の10歳上の従兄にあたる。論語をはじめとする学問に通じて、栄一の師でもあった。富岡製糸場の設立には、計画から関わり、自らの娘を工女第1号として入所させるなど、工女の募集に尽力。この生家は、江戸時代後期に惇忠の曽祖父が建てたといわれ、高崎城乗っ取り計画を企てたと伝わる部屋が2階(非公開)にある。深谷市指定史跡。
■開館時間は午前9~午後5時。無料。深谷市下手計236

◆渋沢のすべてがわかる
渋沢栄一記念館

渋沢栄一記念館の資料室には、栄一ゆかりの写真など資料が多数展示されている。講義室では渋沢栄一アンドロイドによる講義を見学することができる。現在、事前予約制としているが、新型コロナの状況により対応が変動する。
■開館時間は午前9~午後5時。事前予約制。無料。深谷市下手計(しもてばか)1204

※上記3施設については、新型コロナの状況により変動あり。詳しくは渋沢栄一記念館(048・587・1100)または、深谷市ホームページの渋沢栄一デジタルミュージアムへ(http://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/index.html

おすすめ 大河ゆかりの「渋沢」スポット

深谷市に大河ドラマ館
■ 劇中の衣装や小道具など一堂に
埼玉県深谷市仲町にある「深谷生涯学習センター・深谷公民館」1階にある深谷大河ドラマ館。「青天を衝け」で実際に使用された小道具や衣装の展示、撮影風景とキャストのインタビューを上映する「4Kドラマシアター」の上映も見ることができる。

渋沢栄一の生家「中の家」のセットを再現した建物の内部では、主人公を演ずる吉沢亮さんや橋本愛さんなどのパネルも見られる上、当時の暮らしぶりを身近に感じられる=写真。また、渋沢を曾祖父に持ち、テーマ音楽を指揮する尾高忠明さんのメッセージパネルもある。ドラマの進行に合わせて展示替えを予定。記念撮影をしながら大河ドラマの世界観を味わえるとともに周辺の観光情報などもキャッチできる。来年の1月10日まで開館。
◆開館時間は午前9~午後5時(入場は4時半まで)。一般800円、小学生以上高校生以下400円。深谷市仲町20-2。問い合わせは、同ドラマ館入場券販売管理センター(048-551-8955)。

ドラマのタイトルは渋沢作の漢詩から
■ 佐久の国道254号沿いに石碑
タイトル「青天を衝け」は、若き日の渋沢栄一が詠んだ漢詩の一節に由来する。「内山峡之詩(うちやまきょうのし)」という題で、これを刻んだ石碑が話題となっている。国道254号を下仁田から長野県側に抜け8㌔ほど進んだ佐久市肬水(いぼみず)にある。

同詩は、栄一(当時18歳)が、いとこの尾高惇忠とともに家業の藍販売のため信州へ向かう道中で作ったとされ、二人の合作漢詩集『巡信紀詩(じゅんしんきし)』に収められている。この詩を読み感動した地元有志らが、1940(昭和15)年に詩碑を建立したという。内山峡は、千曲川の支流「滑津川」の浸食により形成された峡谷で古くから景勝地として名高い。碑には、「勢衝青天攘臂躋/気穿白雲唾手征」(現代語訳=青空をつきさす勢いで肘をまくって登り、白雲をつきぬける気力で手に唾して進む)とあり、険しく厳しい峡谷を力強く進んで行く様子が表現されている。道路沿いの岩肌に張り付くように設置され、近くで見学することも可能だ。佐久市観光協会(0267-62-3285)。

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