100回史に刻む[4月12日号]

「最後の心のキャッチボールができなかったのが残念です」。その人の弔電が読まれると、少なからぬ列席者が、視線を上げるのを見ました。今月7日、高崎市内で営まれた東農大二高校野球部の元監督、斎藤章児さん(享年79)の告別式でのことです。

差出人は竹下政宏さん。34年前の夏、甲子園に出場した農二のベンチ入りメンバーです。智弁学園(奈良)に延長十回サヨナラ勝ちをした初戦から3日後、父元章さんの乗った日航機が御巣鷹に墜落しました。

元章さんは元プロ野球選手で、父兄会の副会長。斎藤さんは著書「おれの野球では勝てないのか」(2015年)で述懐します。「親戚とともに現地に向かった竹下君には『1%でも可能性があったら、それにかけろ』としか言えなかった」。

群馬で野球担当となる朝日新聞記者は、斎藤さんを訪ねて「球道」の指南を受けました。私も夏の群馬大会、高校野球OBの会合や球場で、度々お目にかかりました。竹下さんの近況を尋ねても言葉少なく、今も大きな心の負担となっていることを感じました。

33回忌の17年夏、車いすで慰霊に上野村を訪れ、「やっと胸のつかえがとれた」と話していたと、弔辞を読んだ農二OBの大島和幸さんが紹介していました。急逝前日、大島さんは斎藤さん宅に、夏の甲子園と地方大会の全記録を収載した「100回史」(朝日新聞出版刊)を携行し、見てもらったそうです。2巻で厚さ10センチ、重さ5キロに上る記録誌の群馬の項には、斎藤さんの名もしっかりと刻まれています。

(朝日新聞社前橋総局長 岡本峰子)