少国民と呼ばれ[1月19日号]

3・2・1……発射!」。テレビ番組の司会者の先導で、スタジオは歓声と拍手喝采でした。同時多発テロ事件から1年半後。米国に留学していた私は、自宅で開戦を見届けました。米英軍によるイラク空爆が、花火大会のように中継される様子にぞっとしました。

15年前を思い出したのは、県立土屋文明記念文学館で企画展「子供たちの戦争」を見たからです。戦中から敗戦直後までの少年誌や新聞を展示します。満州事変翌年の1932年に生まれた男性が私物を長年保管し、同館へ寄贈。1人の少年の視線を通して戦時の空気が伝わります。

「ほしがりません勝つまでは」「私たちも銃後の戦士」。子ども向け新聞の見出しです。41年、「小学生新聞」は「少国民新聞」に、ラジオ「子供の時間」は「少国民の時間」に改題。同年12月、太平洋戦争が始まりました。

敵を固定化し憎しみを煽り、殉職者を崇める。国のために戦う「愛国者」を称える。当時の弊紙を含む新聞雑誌、ラジオの姿勢は、テロ事件後にみた米国での政府の情報発信とメディアの報道、世論に通じるようにみえます。

「軍部の言論統制より怖いのは、記者の自主規制と社内検閲」。自らの戦争責任を問い朝日新聞記者を辞めたジャーナリストむのたけじさんは一昨年夏に亡くなるまで、そう語っていました。SNSで誰もが発信できる現代でも、為政者の意向を忖度しない、芯の通ったプロ集団の必要性を痛感します。少国民と呼ばれる子らを再び生まないために。(朝日新聞社前橋総局長 岡本峰子)