朝日ぐんま40年間 ありがとう

また、お会いしましょう

「地元のニュースを伝えて朝日新聞の本紙県版を補い、読者サービスを向上したい」と、1983(昭和58)年6月に創刊した「あさひぐんま」(のちに「朝日ぐんま」と名称変更)。誕生から40年を経た3月15日の今号をもって残念ながら休刊になる。

読者のみなさまや各総局長、スタッフから寄せられたメッセージを紹介するとともに、40年間を振り返る(2面にも関連記事)。

朝日ぐんまの先に
編集長 谷 桂 (60)   2009年入社

【立ち上げの頃】

1983年の創刊号

朝ドラ「おしん」ブームに沸いた1983年に創刊した「あさひぐんま」。県版を補完して、読者サービスを展開したいと、県内の販売店で組織する「群馬県朝日会」を母体にして始まった。

「地元の人に親しまれる紙面づくり」を掲げ、朝日新聞前橋支局(現在の前橋総局)がバックアップしてスタート。新人スタッフが記事を書く以外にも、支局記者が徹夜で取り組むこともあったという。創刊号1面の人もの「さわやかさん」コーナーでは、新聞奨学生制度を使っていきいきと高校生活を送る女子高生を紹介した。その後、現在の「総局長日記」に繋がる「デスク日記」が始まり、すぐに人気コーナーに。87年頃には「支局日記」となって1面下に定着した。

96年に「あさひぐんま」から「朝日ぐんま」に名称変更した初の4面には「元気な新聞お届けします」のフレーズ

タブロイド判4ページ、月2回、土曜日の発行で始まった「あさひぐんま」は、89(平成元)年になると、「読者サービスを飛躍させたい」と、月4回、日曜日発行になり、「朝日新聞と同じ大きさ」のブランケット判4ページ(カラーを含む)に成長。93年の創刊10周年の頃は、群馬県の人口が200万人に到達寸前。小寺弘之知事からも「県民に親しまれる情報紙に成長した」と祝辞が寄せられた。また、朝日新聞社の中江利忠社長からも励ましのメッセージが寄せられた。

93年には、金曜日発行になり、96年には、媒体名を「朝日ぐんま」に変更。2年後には「朝日フォトコン」をスタートし、地元企業との連携を図り、写真文化の向上や地域貢献を目指した。2005年には1000号を達成。06年から4面ともオールカラーで発行した。

【入社後に作り手として】
ここからは、私が体験したことを書きたい。それまでは読者として、朝日ぐんまを貴重な情報源として手に取っていた。09年に入社。「ベストセラー並の部数を毎週発行する紙面です」と先輩社員に教えてもらい「制作に携われる」とワクワク。だが、経験のない広告営業や未知なる取材に、赤城山を見つめながら、笑ったり、泣いたり。毎週寄せられる読者やクライアントの皆さんからの言葉にはいつも励まされた。

その後「朝日フォトコン」の担当になり、15年には中高生のための写真コンテスト「朝日中学生高校生フォトコン」を開始できたのがうれしかった。子育ての経験を活かし「ぐんまの教育号」や「いきいき子育て応援号」にも取り組んだ。17年には、朝日ぐんまのロゴやマーク、題字を一新。読者からは「親しみやすいデザイン」と好評だった。19年には、ホームページを新しくして、県内外の新たな読者とも繋がる。20年のコロナ禍に編集業務に仕事をシフト。夢だった群響や音楽ホールの取材を始め、群馬を巡りながら、面白い人やモノ、コトを発見した。

40年間を振り返ると「面白くて、心が動く情報を届けたい」と常に取り組んでいた。でも、本当に面白がっていたのは、自分たち。終わりはスタートだ。軸足を移して、今度は大勢ではなく「あなたのためのメディア」に取り組みたい。また、お会いしましょう。身体に気を付けて、お元気で!

取材で新たな世界拡がる広告企画「住宅特集」
室長 池田 武 (59)  2000年入社

構造見学会の見どころを特集。建築部材を色分けして名称も添えた

入社から間もなく24年。最初は会員制情報誌mag(マグ)の編集担当で、のちに広告営業担当へ。広告の一部ではデザインも手がけ、最近では紙面の最終確認と印刷所へのデータ電送も担当しました。

心に残っているのは01年ごろから19年にわたり連載した広告企画「住宅特集」です。毎月1回、日本家屋の特徴や構造について紹介。軒や梁だけでなく、小屋裏や床下など見えない部分に至るまで、図を添えて解説しました。

建築知識のなかった私を指導してくれたのは、設計事務所や工務店の皆さん。事務所や建築現場では、木によって異なる材質や適切な用途、部材の役割などを丁寧に説明してもらい、大切にしていた資料や書籍を何冊も譲っていただきました。

わかりやすい記事と作図を心掛けて、工夫しながら随分と学びました。「床の間の特集」では「記事をずっと保存しておきます」という読者からのハガキをいただき、感無量でした。それまで縁のなかった世界に、新たな知識が拡がるのも、新聞に関わった者の醍醐味なのでしょう。

泣き笑い、共に歩んだ四半世紀
企画部長 中島 美江子 (52)  97年入社

群馬ゆかりの著名人インタビュー連載で紹介した「back number」

「あれから40年!」綾小路きみまろではないが、人間にすれば立派な中高年。その朝日ぐんまと27年、共に歩んできました。記者経験ゼロ、入社日から現場に出向き取材するも失敗の連続。でも、色んな人と出会える喜びは大きく毎日、夢中でした。特に印象に残っているのは、2011年から始めた群馬ゆかりの著名人インタビュー連載。その道のプロの話は刺激的で毎回、多くの気付きがありました。15年から編集長として記事を取りまとめていた時は、芸人や学芸員など多彩な人にコラムを依頼。紙面の知名度向上とファン増にまい進しました。コロナ以降、携わった企画広告では新規開拓に奮闘。出稿への道のりは厳しく、無事掲載にこぎつけた時は一人祝杯をあげたものです。「紙面、見たよ!」の一言が原動力でした。泣き笑い、あっという間の四半世紀。読者の皆さま、関わって下さった全ての人にお礼申し上げます。また、お会いできる日を楽しみにしています。

県内の美術館文学館学芸員に執筆してもらったコラム「文化紀行」

 

新聞にいつもワクワク
経理担当
高橋 美代子 (70)  2006年入社

18年間、主に経理を担当。前任者から引き継いでからたった1カ月で決算の準備をせねばならずあたふたしていたこと、今となってはいい思い出です。たくさんの人が関わって出来上がる新聞にいつもワクワクしてました。

人に話したくなる情報を
編集担当
上原 道子 (52) 2012年入社

12年間、編集を担当。群馬の面白ネタや「ねえねえ、知ってる?」と、人に話したくなるような情報を探しては言葉で伝えてきました。これからも時々思い出して、色々なところに足を運んでいただけたら嬉しいです。

あっという間の9年間
企画・編集担当
森作 理恵 (53)  2015年入社

企画と編集に携わりあっという間の9年間。魅力的なヒト、モノ、コトに触れてぐんま愛が更に高まった気がします。読者様からの感想も毎回励みとなりました。弊紙を通してお世話になった皆様、ありがとうございました!

縁あって朝日ぐんまに
編集担当
塩原 亜希子 (52) 2020年入社

4年前の春、本紙県版マリオンから縁あってこちらに来ました。コロナが猛威を振るい始め美術館もホールも閉館。イベントが消え途方に暮れたことを思い出します。好きな場所に自由に出かけられる世の中が続きますように。

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