被災地の孤独[3月17日号]

6年前の3・11。私は当時、若手記者の教育担当でした。翌日から古巣の編集局に戻りました。各地から送られてくる情報や記事を社内でまとめる業務に1カ月ほどあたった後、被災地へ。初めて取材に入ったのは、福島・浜通りでした。
東京電力福島第一原発は、震災翌日から1機また1機と爆発や火災を起こし、地元住民の避難は混乱を極めました。訪れたのは、原発から20~30キロ圏内など。主に「屋内退避指示」や「自主避難要請」を国から出された地域です。
取材する私たちも屋外に長時間いないよう気を配り、積算線量を毎日報告する社内規則でした。流通は滞り、県外からの救援ボランティアはまばら。見つけた医療者は、被爆地長崎から来た医師と看護師で、自衛隊車両を使って高齢者宅などを往診していました。
同行させてもらいました。高齢男性が診てもらう間、妻は問わず語りに事故後の状況を話してくれました。病院勤めの娘と3人暮らしで避難できない。けれどその娘は職場にほぼ泊まり込み。被曝を避けろと言われて散歩できず、夫は足腰が弱くなった。ご近所も避難して街に人影がない。気が滅入り、血圧も高くなった——。涙を流す女性の手を握るしかありませんでした。
前橋地裁で17日、福島からの避難者が東電と国を相手取った集団訴訟の判決があります。群馬訴訟の原告は137人ですが、全国で同様の訴訟があり、約1万2千人が参加しています。自分が住民だったならどうしたか。想像力を持って注視したいと思います。(朝日新聞社前橋総局長 岡本峰子)