人の悩みや見えない部分に寄り添う

 

あなたの職業は何ですか?

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山伏 YAMABUSHI

大福院住職  小野関隆香さん(22)

現在、榛東村広馬場にある大福院で住職をしております。「山伏」とは、山中で修行をする修験者。若い女性と「山伏」のイメージが一致しないかもしれません。ですから「なぜ、そんな若くして山伏に?」とよく聞かれます。

高校一年の春休みに、親戚の者が亡くなり、お葬式に初めて参列。その際、黒い袈裟を着た僧侶がお経をあげるのかと思ったら、黄色の鈴懸(すずかけ)をまとった大福院の前住職が来ていました。神秘的な姿に目が釘付け。ほら貝が響き渡り、山伏に伝わるやり方で葬儀が進められました。元をたどれば、わが家も山伏の家でしたが、明治時代に廃仏毀釈のあおりを受け、お寺をよしてしまいました。その時の雰囲気に圧倒され、山伏としてのDNAがよみがえったようでした。

【京都へ修行に】

後日、「どうしたら私も山伏になれますか?」と前住職に相談。高校卒業後の2017年4月から修験道の本山派「総本山聖護院門跡」(京都府)に「学僧」として入門し、2年間修業に励み勉強しました。

修業は、まず法名をいただいて得度。その後、お葬式のやり方「葬儀作法」や地鎮祭のやり方「地鎮作法」など15の免許を取りました。大峰奥駈修行といって吉野(奈良県)から熊野(和歌山県)の山の中を朝の午前2時に起きて、12時間以上ひたすら縦走する修行は、とてもハードでした。体力が持つのか心配でしたが、より山伏になりたい気持ちが強まりました。

【先代の住職が急逝】

修行後は、県内最年少の山伏として一歩を踏み出しましたが、昨年12月、先代が急に亡くなってしまいました。悲しみに暮れながら、山伏の作法で葬儀を執り行いました。先代の姿にあこがれて山伏になった私が、今度は鈴懸を着て先代を送りだしたのです。 お坊さんは、人の悩みや見えない部分に寄り添うという仕事。残されて悲しい人のためにも、どういうお葬式ができるか、心のこもったお経をあげられるのかを住職として今後考えていきたいです。

【SNSで発信】

榛東村では若いお坊さんを温かく迎い入れてくれました。榛東中学校では、人権についての講演に呼んでくださいました。榛東村耳飾り館では展示品の説明会もできました。コロナ禍ですから、法話会も中々開催できませんが、まずは山伏という存在や修験道の考え方を伝えていきたいですね。フェイスブックやYouTubeなどのSNSからも積極的に発信していきたいと思います。

コロナ禍で苦しんでいる人も多いですが、誰でも良いときもあれば、そうでないときもあるもの。浮き沈みはあります。私も悩むこともありますが、下がっても当たり前と考えて、共に頑張りましょう。(聞き手・写真 谷 桂)

県内最年少の女性山伏。本山派「総本山聖護院門跡」(京都府)で2017年から2年間修業。21年3月から大福院住職。法話会や講演会で山伏文化を伝える。榛東村在住。
メール daifukuinryuuka@yahoo.co.jp
インスタグラム daifukuinryuuka

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