生まれ育った故郷にできた美術館 詩画作家 星野 富弘さん

詩画作家
星野 富弘さん

―これからも描いていきたい―富弘美術館30周年

今年4月、自ら車椅子を操作して庭を散歩する星野さん(桐生市で)

今年5月に開館30周年を迎えたみどり市の富弘美術館。勢多郡東村(現在のみどり市東町)出身の星野富弘さん(75)は、中学校の教諭として体操の部活指導中に頸髄を損傷してから、口にくわえた絵筆で詩画作品を描いて約50年。子どもの頃の原体験や入院中のこと、作品づくり、来館者との繋がりなど、節目の年に、作家としての思いを語る。

―30周年を迎えた気持ちは
31年前に、勢多郡東村の村長が来て、「美術館を作りたい」と言ったときに、まさか、30年も続く美術館になるとは分かりませんでした。

来館者の皆さんやみどり市、美術館の聖生清重館長や職員の皆さんのおかげです。館長は小学校1年のときからの友達ですから、私の良いも悪いも知っていますしね。小さいころ、大晦日になると近所の子どもと一緒に握り飯を持って見晴らしの良い山に登り、下を眺めていましたが、そこに美術館ができるとは思ってもいなかったです。

―子どもの頃の体験を大事にしています
東村大字神戸高助の生まれですが、今の私を作っているものほとんどが東村での生活や経験がもとになっています。時には、いやいやながら家の手伝いさせられて、百姓や山で木を伐ることもしました。村の子どもはみんな、「なた」を持ち、「背負子」に薪になる木を結び付けて運びます。その経験が後の自分を育んでくれました。

「悲しみの意味」(2002年)

―自然が好きですね
そうですね。でも、子どもの頃は、そこらに咲いている花なんか、ひとつも興味はなかったです。雑草をむしるのが仕事でしたから。ただ、ケガをして入院し、9年間も上を向いて寝ていましたので、ベッドで改めて見たドクダミやヒメジョオンなど草花が、「こんなにきれいだったんだ」と急にいとおしくなりました。小さい頃から一緒に育ってきた幼な友だちのように見えたのでしょう。

―入院中は、どんなことを考えていたのですか
9年間、色々なことを考えましたが、一番は自分の弱さが良く分かりました。毎日毎日、寝ている自分との闘いです。それまでは、人にかっこいいところを見せていましたが、ケガしてからは、かっこつけても、結局この姿ですから、しょうがないです。

―絵筆を口にくわえたえたときの思いは
口にくわえるのはちょっと、恥ずかしかったですね。絵を上手いとも思ってなかったから、筆やスケッチブックでも何でも、毛布の下にすぐ隠していました。何年も寝ているうちに、色々な人から励ましの手紙をもらい、一言でもいいから返事を書きたいと、字を書き始めたのがきっかけです。直線が多いカタカナの「アイウエオ」から練習を始め、器械体操と同じように基礎から取り組み、初心に帰る気持ちで、何度も繰り返しました。

そのうち、字だけじゃなくて、絵も描いてみようと、まずは看護師さんが持って来た尿瓶がいいなと。入院中は、とにかく、うまく「出す」ことがいちばん大事です。うまく出たときはほっとして万歳したくなる。捨てるのがもったいないくらいです。看病していた母も、「今日はこんなに出たよ」と顔の前に持ってきてくれました。その頃、お見舞いでもらった花も描き始めました。

―詩を作ったのはなぜですか
入院9年目の冬です。「いい絵だから、展覧会やりませんか?」と群馬県身障者福祉センター所長の久保田稔さんが来てくれました。「描く時に考えたことを一言そこに書かないかい?」って言われて。展覧会を始めたら、「言葉がいい」と人がほめてくれました。それから詩を添え始めたのです。

「結婚指輪」(1981年)

―どんな詩画を描くのが好きでしたか
花が一番描き良かったですね。自然の中で育っているので、身近で切り離せない存在ですし、花は何も文句を言いませんから。あるいは、一年中看病してくれた母親のことですね。退院してからも母に自宅の庭から花を摘んでもらいました。絵と詩を一緒にした「画文一体」の詩画が教科書に掲載されたときは、自分でもとてもうれしかったです。

―来館者の反応をどのように感じますか
皆さんと直接お会いしないことが多いですが、私の描いたものを見て、「様々な悩みや苦しみは、自分ひとりじゃなかったと力づけられました」という感想を聞くと、「ああ、オレがやっていることも、まんざらではない。役に立っているんだな」という気持ちになります。逆に来館者の方からお手紙や感想をもらうと、自分が励まされることもあります。

―感動を伝えるために、どのように表現していますか
なるべく、正直に自分でかっこつけないで、そのままを描きたいです。中には、見た人が笑い出したくなるような詩画作品もありますが、小さい頃から、人を笑わせたいのはどうにも治りません。笑わせないと価値がないような気がして、詩画にもつい出ちゃうのです。

―コロナ禍で悩む人に一言お願いします。
人間、いろいろ苦しいことがあり、生きている限り、泣くようなこともあります。コロナで苦しむのは大変なことですが、その一つと考えれば大丈夫です。

―今後、作家としてやりたいことは?
こういう世の中に対して自分ができるとしたら、絵や詩画を描くことが一番じゃないかなと思います。描くことや作り出すことは面白いし、張り合いがあります。これからも、初心に帰ってやっていこうと思います。   (文・写真 谷 桂)

 

ほしのとみひろ・1946年勢多郡東村生まれ。群大教育学部保健体育科卒業。中学校教諭としてクラブ指導中に頸髄を損傷、手足の自由を失う。入院中、口に筆をくわえて文や絵をかき始める。81年に結婚。91年に東村立富弘美術館開館、05年には新しく富弘美術館開館。11年群大特別栄誉賞受賞。14年に富弘美術館は入館者650万人を超える。21年開館30周年。現在も詩画やエッセイの創作活動に取り組む。著書に「新版 愛、深き淵より。」「新版 風の旅」など多数。教科書に掲載のほか合唱曲集にもなっている。

■開館30周年企画展
「星野富弘詩画の世界-明日へ続く道-」
負傷して、初めて口に筆をくわえてから49年。星野さんの作品を初期から現在まで、作風の変遷や広がりをたどる。作品と関連する資料約100点を展示した開館30年の集大成ともいえる企画展。8月29日まで。開館時間は、午前9時から午後5時。月曜日休館。入館料は一般520円、小中学生310円。同館(0277-95-6333)。

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