「被害の状況を知り、戦争について考えるきっかけにして欲しい」

映画監督 坂田 雅子 さん (みなかみ町在住)

ベトナム戦争 枯葉剤被害追う最新作  高崎と前橋で上映 

「私が見てきたこと、知ったことをドキュメンタリーという形を通して少しでも多くの方に伝えたい」と坂田監督=シネマテークたかさき

「戦争が終わって長い年月が過ぎましたが、残された傷は今も消えません」‐みなかみ町在住の映画監督・坂田雅子さん(74)の最新作「失われた時の中で」が、高崎の「シネマテークたかさき」で上映されている。同作は、デビュー作「花はどこへいった」(2007年)や次作「沈黙の春を生きて」(2011年)に続き、ベトナム戦争の枯葉剤被害をテーマにしたドキュメンタリー映画で、戦争の傷痕に向き合い続ける人々の姿を丹念に映し出す。ベトナム帰還兵だった夫の死をきっかけに映画制作をスタートした坂田監督に、最新作への思いを聞いた。 (中島美江子)

―再び枯葉剤被害をテーマにした理由をお聞かせ下さい。
前2作以降も枯葉剤関係の国際会議に参加したり、ベトナムの障害児を支援する「希望の種」奨学金の奨学生に会いに行くなど、継続して現地の状況は追っていました。再び撮ろうという思いはあまりなかったのですが、訪問しているうちに「問題はまだまだ終わっていない、私が見てきたのは氷山の一角にすぎない」と気付きました。これまでも現地を見てきたけれど、もっと悲惨な環境に置かれている人たちがいると知り、2015年頃からまたカメラを持ってベトナムに訪れるようになったのです。枯葉剤被害を取材して20年近く経ちますが、今作は折に触れて撮りためたものをまとめたので、私にとって集大成的なドキュメンタリーと言えるでしょう。

―20年前と今で枯葉剤被害者の生活はどう変化しましたか
枯葉剤を浴びた親は老い、障害を持つ子どもの面倒をみるのも大変になっています。亡くなった子も多く、昔あった笑顔はありませんでした。親たちは一様に疲弊した様子でしたが、一方で障害を持ちながらもスポーツに打ち込んだり、家庭を持ち仕事に励むなど生き生きと生活している姿も見られ、希望と力を与えられました。

―タイトルに込めた思いは
適当な日本語訳を探す中で出会ったのが「失われた時の中で」でした。最初、タイトルは英語で「Long Time Passing」にしようと思っていました。有名な反戦歌「花はどこへいった」の2番目の歌詞です。「花はどこへいった、長い時間がたった」に続き、「人はいつになったら学ぶのだろう」というフレーズの繰り返しで終わっています。戦争によって「失われた時の中」で生きてきた人たちが大勢いますが、枯葉剤の被害者もそうですし、私もそう。多くの人が、この大切な問いに対する答えを探しているのではないか。そんな思いでつけたタイトルです。

―デビュー作から最新作まで一貫して戦争や原発事故の被害者の姿を力強く捉えています
戦争、原爆、原発、化学薬品と姿は変わっても、人間が作り出してしまったもので人間が傷つき死んでゆく。問題の根は同じところにあるのではないでしょうか。私たちが生きていることの意味は、お互いが存在すること。大切なのは個々の命と、その繋がりなのだということを私たちはもとより、政治家や企業家も念頭に置いておいて欲しいですね。

―来場者にメッセージを
この20年間、私も悲しい思いをしてきましたが枯葉剤の影響を受けたベトナムの方々の悲しさ、辛さには比べようもありません。彼女たちの流す涙の奥にある胸の奥の痛みを考えると自らの無力感を感じますが、せめて私が見てきたこと、知ったことをドキュメンタリーという形で少しでも多くの方に伝えたい。日常生活の中では見えないことが、世界では幾多起こっています。ドキュメンタリーの力は、そんな事実を「見える化」すること。戦争が終わって長い年月が過ぎましたが、残された傷は今でも消えません。映画を通して被害の状況を知り、戦争について考えるきっかけにして欲しいですね。

48年長野生まれ。京都大文学部卒業後、写真通信社勤務及び経営。2003年、ベトナム帰還兵でフォトジャーナリストの夫グレッグ・デイビス氏の死をきっかけに枯葉剤をテーマにした映画制作を開始。2007年「花はどこへいった」は毎日ドキュメンタリー賞、パリ国際環境映画特別賞など受賞。11年「沈黙の春を生きて」、14年「わたしの、終わらない旅」、18年「モルゲン、明日」を制作

■「失われた時の中で」県内公開情報
・シネマテークたかさき( 027-325-1744 ) /今月29日まで
・前橋シネマハウス( 027-212-9127 )/10月1~14日(1、2日午前の回の上映後に坂田監督の舞台挨拶を予定)

掲載内容のコピーはできません。