200年の歴史を繋いで、大島梨を作りたい(vol.14)

農業カメラマン網野文絵のKnow Life 

 

関口果樹園 関口貴生さん(前橋)

就農して農業の奥深さを知った関口さん

夏本番、暑い時はみずみずしい果実で水分補給をしたくなりますね。お盆が近くなると、前橋市と伊勢崎市を結ぶ駒形バイパスには梨を販売するたくさんの売店がオープンし、梨を買う車が並びます。今回は前橋市下大島町にある「大島梨」の農家さん、関口貴生さん(51)のお話です。

大島梨は「赤城の恵ブランド」に認証された果実として、群馬県内外から親しまれていますが、約200年前の江戸時代に地元の園芸家、関口長左衛門が梨の苗木を植えたことが栽培のはじまりとされています。

下大島は旧利根川の河床で昔から砂地。農業が難しいとされていましたが、栽培の改良を重ねて地域に大島梨を根付かせたのです。そのように歴史ある梨の農家で生まれ育った貴生さんが就農したのは今から15年前です。幼い頃は、祖母と母親が梨や桃を作り、父親は農業ではなく会社の経営者という家庭環境でした。

貴生さんは大学卒業後、いくつかの一般企業で10年以上営業職に携わりましたが、徐々に仕事や人間関係に行き詰まりを感じ始めました。一方で農業の世界では、辞める生産者が増えて、年々規模を縮小する中、貴生さんの両親の努力によって果樹園の規模を拡大している現状を知ります。

「人を相手にすることから、植物を相手にする仕事へ、職業を選び直す時期が来たのではないか」と心の中だけで考えていましたが、奥さんにはお見通しだったそうです。妻に就農を後押しされ、36歳で会社を退職しました。

その後は、母親から果樹栽培を教わるだけでなく、毎年県の勉強会で最新情報を取り入れて栽培をアップデートしました。時には近所の農家さんと、お互いに助け合うこともあるようです。

「地元で受け継がれた梨の歴史を、今度は自分が次へ繋げたい」と次第に貴生さんの思いや目標も変わっていきました。いつの間にか「植物」だけでなく「人間関係」を大事にし、農家の将来を考えて、事業・技術の継承にも力を注いでいくようになったのです。そして、今年、「農業経営士」として県に認定されました。

今後は人に教える立場として農業を支えつつ、大島梨を守り続けていかれることでしょう。

大きく、瑞々しい大島梨

○大島梨HP(下大島果樹組合) http://www.ooshimanashi.com/

あみのふみえ/フォトグラファー

もともと野菜が苦手だったが、畑で感じた匂いや景色に衝撃を受ける。カメラマンとして農家や畑・作物を撮影するうちに、野菜が好きになる。新しい野菜の“見かた”を発信することがライフワーク。5月中旬に写真絵本「やさいのはな なんのはな?」(岩崎書店)を出版。
■インスタグラム: @amino_fumie
■HP: www.knowlifephotos.com

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