嬬恋郷土資料館  [ポンペイ遺跡の犠牲者石膏型レプリカと 鎌原観音堂石段遭難者の展示 ](vol.20)

火山災害が伝える「最期の瞬間」

ポンペイ遺跡の犠牲者石膏型レプリカ(左)と鎌原観音堂石段遭難者の展示。右は発見された2遺体の複顔模型

当館では、浅間山の天明3(1783)年噴火で埋没した鎌原村(現嬬恋村鎌原地区)の出土品を展示しています。1979(昭和54)年から行われた発掘調査により、鎌原観音堂石段で発見された遭難者の遺体収容は、日本全国、多くの心を揺り動かした出来事でした。

一方、古代ローマ帝国の地方都市ポンペイが埋没したのは、西暦79年のこと。ヴェスビオ火山の火砕流中から2人の遺体の空洞が発見されました。その内の1体(ポンペイ遺跡では、1046体目の発見)の石膏取りレプリカが当館に展示してあります。2010~11年に国内巡回で開催された「ポンペイ展 世界遺産 古代ローマ文明の奇跡」展示終了後、
当館に寄贈されたものです。

観音堂石段の2人は一方が他者を背負い、あと35段を駆け上がれば助かったという状況を伝えています。背負った方の人はもしも一人で逃げていたら助かっていたかもしれない、とも想像できます。ポンペイの遺体では、背後からやってくる火砕流に背を向け、一方が他者をかばうかのような姿で転落したものと観察されています。

本家本元の「ポンペイ遺跡の2人」と、「日本のポンペイ」となぞらえる「鎌原観音堂石段の2人」。発掘調査によって呼び覚まされた歴史の断面から、火山災害に遭遇した人々の「最期の瞬間」について考えさせられます。

私たちは、この2つの展示からどんな教訓やメッセージを受け取り、何を学んでいけばよいのか、展示を前に考えてみてください。

館長
関 俊明さん

せき・としあき/1963年中之条町生まれ。國學院大学大学院修了。博士(歴史学)。県内小中学校、県埋蔵文化財調査事業団を経て、2020年4月より現職。2002年財団法人古代学協会イタリアポンペイ遺跡第10次発掘調査に参加。2004~05年内閣府中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」小委員会委員

きてみて
嬬恋郷土資料館
吾妻郡嬬恋村鎌原494/0279-97-3405/入館料一般300円、小中学生150円、水曜(祝日の場合は木曜、7・8月は無休)・年末年始(12/27~1/4)休館。現在、「写真展・旧鎌原村の発掘調査『封印された天明三年』の扉を再び開く」と題して40年前の発掘調査の写真展を開催中

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