奈良古墳群

史跡に指定された県内の貴重な遺跡や古墳などを担当者が紹介

 

群馬県史跡
2020(令和2)年2月21日指定

馬の生産に関わっていた先人たちの古墳

10号墳の「ト」字型石室は、群馬県内ではほかに高崎市の「お春名古墳」にのみ見られる極めて希少な石室構造

奈良古墳群は、古墳時代終末期、7世紀に形成された群集墳です。およそ100年の間に約60基の円墳が築造され、現在13基が保存されています。埋葬施設は横穴式石室で、ほとんどが露出・開口していて内部を観察することができます。10号墳の内部は「ト」字型石室という、極めて希少な石室構造で、県内では高崎市お春名古墳にのみ見られます。また、馬具の副葬が顕著であることから、奈良古墳群を造営した集団が馬の生産に関与していたと考えられています。2020年2月にその歴史的価値が認められ群馬県史跡に指定されました。

なぜこの地で馬の生産を行うようになったのでしょうか。理由の一つは、この時代に馬の需要が高まったことです。この頃、律令(法律)によって形作られる新しい社会が誕生し、都や道路が整備され、軍隊も整えられます。そのいずれにおいても馬は重要な労働力でした。古墳時代の群馬は著名な馬の生産地でしたが、新たな需要に応えるため生産拡大に乗り出した人々が利根沼田の地で活動したのです。

もう一つの理由は、古墳時代に発生した自然災害にあった可能性があります。6世紀中頃、榛名山二ツ岳が噴火し、風に乗って多量の軽石が北東方向に運ばれ、利根沼田地域でも最大70㌢の厚さで堆積しました。人々の生活が大きなダメージを受けたことは想像に難くありません。災害から復興するための新たな産業として、馬の生産にチャレンジした先人たちの姿がそこにあったかもしれません。

奈良古墳群は人工物が少なく、古墳時代と変わらない良好な景観が残されています。先人たちと同じ場所に立ち、同じ景色を味わってみてください。

13基の円墳が残る奈良古墳群
子持山(奥)と奈良古墳群

沼田市埋蔵文化財調査センター 副主幹
永井 三郎 さん

ながい・さぶろう/1977年栃木県足利市生まれ。茨城大学大学院文化構造専攻修了。栃木県埋蔵文化財センター、岐阜市教育文化振興事業団等で勤務のほか、東日本大震災からの復興事業に伴う埋蔵文化財調査を経験、2019年4月より現職

きてみて
奈良古墳群
沼田市奈良町110番地ほか
問い合わせ:同市埋蔵文化財調査センター(0278-25-3643)
※出土遺物の一部は、同市歴史資料館(0278-23-7565)で展示されている。
水曜休館、観覧料一般220円、中学生以下無料、午前9時半~午後5時(入館は同4時半)

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