夢は100年続くクラブに育てること

株式会社ザスパ COO
鈴木 健太郎

クラブ設立メンバーが、改革のために再びザスパに戻ってきた

クラブ設立オリジナルメンバーである鈴木健太郎氏が15年ぶりに「改革」のためにザスパに戻ってきた。クラブ立ち上げ時のエピソードと共に、改革が急務のアカデミーのこと、思い描くクラブ像を語ってもらった。

プロクラブを作るという夢を実現させる

プロサッカークラブを作ることは小学生の頃からの夢だった。その夢が叶う機会が訪れたのは大学4年生のとき。理系の大学で半導体の研究をしていた鈴木は、3年生のときにゴールドマン・サックスのIT部門の内定をもらっていたこともあり、4年になると学生生活を存分に楽しんでいた。そんなときに、子どもの頃に所属していたスポーツクラブでスキーとサッカーのコーチをしていた賢持宏昭氏(ザスパの初代社長)から、「Jリーグに行くクラブを立ち上げたいから、一緒にやろう」と誘われたのだった。

世界屈指の投資銀行であるゴールドマン・サックスの内定を断り、プロサッカークラブを作る道を選んだ鈴木は、大学を卒業後、クラブ立ち上げに関わりながら、筑波大学大学院に進学し、スポーツマネジメントを学んだ。S級コーチライセンスが学べるのも同大学院を選んだ理由だった。そこで日本サッカー協会会長の田嶋幸三氏や日本サッカー協会技術委員で、日本代表のコーチングスタッフを務めたこともある小野剛氏らの講義を受けたほか、前橋育英高校サッカー部の監督でザスパの会長でもある山田耕介氏とは一緒に授業を受けていた。ここで鈴木は、日本サッカー界との人脈も作った。

クラブの仕事の大変さは想像を超えた。賢持氏からは、「選手管理全般をしてくれればいい」と聞いていたが、実際は人手不足のため、広報や運営、営業のサポート、チームのマネージャーなど、一人で複数の仕事をこなさなければならなかった。練習時には飲み水を用意したりアイスパックを作ったり、練習試合後には選手のユニフォームを洗ったり、移動のために大型二種免許を取って、2004年の天皇杯のときに草津町から大阪市住吉区長居までバスを運転したりした。

04年12月6日のJリーグ理事会でザスパのJリーグ昇格が決定したときは、「これ以上はできないと思うぐらいガムシャラにやってきて、チームとして最大限の結果が出るというのはこういうことなんだな」と、嬉しさで号泣した。苦労が報われた瞬間だった。

そして鈴木は、Jリーグでの2シーズン目が終わったのを最後に、「自分にできることはここまで」とクラブを去った。

トップとアカデミーのサッカースタイルを一本化

ザスパに長年関わる取締役から声をかけられ15年ぶりにCOO(最高執行責任者)としてザスパに戻ってきた鈴木に課せられた使命はクラブの改革。中でも下部組織であるアカデミーの改革は急務だ。まずは、「ザスパとしてどういうサッカーをするのかをトップチームと共に一本化しなければならない」と鈴木は考えている。

これまでは、ジュニア、ジュニアユース、ユースの指導者の育てたい選手のイメージが異なっていた。Jクラブの下部組織として、「こういう選手を育てたい」という明確なものがあれば、自ずとザスパのサッカースタイルが明確になる。そのためには、「トップチームの大槻毅監督を含め、各カテゴリーの指導者と共にみんなで話し合い、アカデミーのあるべき姿を皆で作り上げなければなりません」とまずは道筋をつけることから始める。
では、クラブ創設者の一人として、ザスパをどんなクラブにしたいのだろうか。


試合時には、ブースに立って接客をする鈴木健太郎(2022年3月15日、正田醤油スタジアム群馬、写真提供/株式会社ザスパ)

「『ここで選手になるのが夢』『ここで働くのが夢』と、選手やスタッフをはじめいろんな方から選ばれるクラブになりたい。そして、サポーターの皆さんから一生応援してもらえるクラブになるのもいいですね。ザスパが皆さんの生活の一部になることが一番だと思っています」

そしてもう一つが「海外のように100年続くクラブにする」こと。「今までは、トップチームの監督が代わるごとに、やるサッカーのスタイルも変わっていました。本来は『クラブとしてこういうサッカーがしたいから、こういう監督を連れてくる』というのがクラブとしての“あるべき姿”だと思うんです。それができれば海外のように100年続くクラブになれると思います」

クラブ創設という生みの苦しみを経験してきたからこそ、J1に昇格する、日本一になるという現実的な目標ではなく、「選ばれるクラブ、100年続くクラブ」という大きな夢を描くのだろう。プロサッカークラブを作るという夢を叶えた鈴木が、クラブを発展させるための改革に挑む。

すずき・けんたろう/1977年12月13日生まれ、東京都出身。筑波大学大学院卒業後、ゴールドマン・サックスの内定を辞退し、2002年に大西忠生、植木繁晴らと共に、前身のリエゾン草津を引き継ぎ、ザスパ草津の設立に参画。チーム統括としてチーム強化に携わる。06シーズンを最後にクラブを離れ、ゴールドマン・サックス、バークレイズ、マイクロソフト、ファーストリテイリングで人事のプロとして力を発揮。今年2月から15年ぶりにザスパに復帰し、COOに就任。

文/星野志保
群馬県出身。アメリカの大学で政治とジャーナリズムを学んだ後、経済系、医療系の出版社で雑誌編集者として経験を積む。群馬に戻ってから、スポーツの分野にも進出。群馬のスポーツ誌『スタンダード』『エールスポーツ』を創刊。現在は、WEBマガジン『エイカングンマ』(https://eikangunma.com/)を開設。ザスパや群馬クレインサンダーズなどのプロスポーツを中心に記事を配信中。
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